
カントリーハウス、チャッツワースの歴史を追いながら、歴史とアートのつながりを書いていくシリーズ。
2回目はチャッツワースの初代当主について取り上げます。
タイトルのとおり初代の当主は女性。
4回の結婚で富と権力を手に入れていくドラマチックな人生です。
▼前回の記事はこちらです
チャッツワース・ハウスの初代当主は、エリザベス・ハードウィック。
ハードウックのベスという、ベス・オブ・ハードウィック(Bess of Hardwick)と言われることも。
マナーハウスを所有する地主の家の出身から、女王エリザベス1世の友人になるまで登り詰める女性です。
野心や行動力が垣間見れるエピソードを、4度の結婚とともにご紹介しますね。
地主の娘として生まれる
▼ベスはどんな女性だったのか?
肖像画を見てみましょう。(ナショナルポートレートギャラリーのサイトへ飛びます)
tps://www.npg.org.uk/collections/search/portrait/mw05787/Bess-of-Hardwick
1527年エリザベス・ハードウィックは、ダービシャー、ハードウィック周辺に土地を所有して質素なマナーハウスを建てていた地主の家に生まれました。
最初の結婚
12歳の時家を出て近くのコドナー城にご奉公に出ることになります。
15歳の時出会ったのが、年下の貴族階級のロバート・バーロウ(Robert Barlow)。
2人は結婚するものの、ロバートは2年後に亡くなってしまいます。
チャッツワースの土地を購入した2度目の結婚
ロンドンの宮廷で親族の侍女を務めていたときに、20歳年上で3人の子供がいたウィリアム・キャヴェンディッシュ卿(Sir William Cavendish)の目にとまります。
ヘンリー8世に仕える宮廷の財務責任者でもあったウィリアム。
ベスは資産もあった彼を説得して、2人は1549年チャッツワースの土地を購入し、家を建てます。
2人の間には8人の子供が生まれ幸せに暮らしていましたが、1557年ウィリアムが死亡。
借金を残されベスは30歳で再び未亡人に。
莫大な資産を手に入れた3度目の結婚
3度目の結婚は、女王エリザベス1世の護衛隊長だった、ウィリアム・セント・ロー(William St. Loem)。
高齢で裕福な人物でした。
彼女自身も女王に近い場所で務める枢密院の侍女となります。
そして彼は財産ほとんどベスに残し亡くなってしまう・・・
それが1565年のことでした。
ついに伯爵夫人になる4度目の結婚
莫大な資産を手に入れて、家を持ち、お金の心配など必要なくなったけれど、再々再婚したベスの夫は、シュルーズベリー伯爵の第6代ジョージ・タルボット(George Talbot, 6th Earl of Shrewbury)。
国内でもトップクラスの裕福で権力のある人物の一人でした。
ここで、伯爵夫人となったわけです。
結婚後すぐに、シュルーズベリーはスコットランド女王メアリーの監護者となりました。
その後15年間、メアリーはチャッツワースなど数多くの邸宅を転々としながら、彼のもとで暮らすことになります。
王室の人物を客として迎える日々の緊張はベスの結婚生活を圧迫し、激しい口論の原因に。
ベスはチャッツワースを去り、幼い頃に住んでいたハードウィックの家に戻ります。
その後数年間、古い実家の周りに新しい家を建て始めます。
この家はハードウィック・オールド・ホールと言って、今は遺跡として残っています。
1590年、シュルーズベリー伯爵が亡くなり、そのわずか1ヵ月後にはハードウィック・ニューホールが始まり、それがこのページの写真でご紹介しているハードウィックホールです。
一族の利益のための行動力
すごいですよねー。
結婚することも、死別して気持ちを入れ替えることもとてもエネルギーがいるように思うけど、4度も経験して、そして富も爵位も手に入れていく。
写真の建物の上の方に 「E S」という文字が立っているのが見えますか?
これはエリザベス・タルボット(シュルーズベリー伯爵夫人)Elizabeth Talbot, Countess of Shrewsbury のイニシャルから来ています。
自分の名前を誇らしげに建物の上に飾るなんて!!
一族の利益のための行動力。
そして芸術のためにもパトロンとしても力を注いだ人物。
その遺産が今も大切に残されていて、影響力の強さを感じさせてくれます。
次回はベスの息子への世代交代へ。
お楽しみに!
_______
参考文献
「Your guide to CHATSWORTH」
English Heritage ホームページ
National Trust ホームページ