
英国貴族の自然に囲まれた地方の邸宅であるカントリーハウス。
ほとんどのカントリーハウスは、車がなければなかなか行くことができない不便な場所にあることが多いのですが、このハム・ハウスは、ロンドンの中心部から電車やバスでも行くことができる場所の一つ。
場所はロンドンの南西部、リッチモンドにあります。
当時のリッチモンドは、リッチモンド宮殿やハンプトンコート宮殿、ウィンザー城へのアクセスが便利な重要な場所でもありました。
現在は、テムズ川沿いに豪華な物件が建ち並ぶ高級住宅エリア。
テムズ川沿いの景色だけではなくて、リッチモンドパークやキューガーデンという広大な庭園もある自然豊かな場所であることが魅力。
リッチモンド・パークは、ロンドンにある8つの王立公園の1つでもあります。
ハム・ハウスを作り上げた人々は、国王チャールズ1世や2世と強い繋がりがある人物。
そして邸宅は作られた17世紀の姿を今にもとどめている貴重な建物でもあるんですよ!
(グレードI の登録建築物)
国王チャールス1世と2世とのつながり

ハム・ハウスの歴史を紐解いていくと、1626年に国王チャールズ1世から、ウィリアム・マレー (Willima Murray)が建物とその敷地の賃貸権を贈られるところから始まります。
ウィリアムは、子供のころチャールズ1世と教育を受け、その後彼の宮廷に仕えたとても親しい間柄。
建築やインテリアにも詳しかったウィリアムは、1637年からハム・ハウスの改装を始めます。
1642年に国王チャールズ1世と議会の長年の対立が、武力衝突へと発展します。
これがピューリタン革命と呼ばれている内戦です。
ウィリアムはチャールズ1世を助けるため奮闘します。
その後1649年にチャールズ1世は処刑され、10年間イギリスは共和国国家になります。
さて、ウィリアムの娘エリザベスは、当時ではとてもめずらしく父親からきちんとした教育環境を与えられて育ちました。(肖像画はエリザベス)
女性は嫁いで子供を産むことが大きな役割だった時代です・・・
ダイサート伯爵夫人となったエリザベスは、1655年に父親が亡くなると、反王国主義の風潮の中でうまく立ち回り、領地を管理するようになっていきます。
さらに、チャールズ1世の処刑後、フランスへ亡命していた王子(のちのチャールズ2世)へ、国王派からのメッセージを送り、彼に会いにいくなどして支えるのです。
チャールズ2世が王座についてしばらくした1672年、46歳のエリザベスは2度目の結婚をします。
相手は、内閣であり裕福なローダーデール公爵(Duke of Landerdale)。
これがハム・ハウスの最も豊かな時だったと言われています。
ハム・ハウスのインテリア
ウィリアムとエリザベス父娘は、屋敷の改築に力を入れていきます。
外国から職人を雇い、異国風のインテリアを買い集めました。
1630年代の日本の漆のキャビネットもコレクションとして残っています。
エリザベスの死後、お屋敷はエリザベスの最初の夫との子供が引き継ぎ、その後300年Tollemache家の所有となり引き継がれます。
その間ほとんど手を加えられることなく1948年にナショナルトラストへ所有権が移されました。
そのため私たちは17世紀の貴重な建物を見学できるというわけです!!


フォーマルガーデン

ハムハウスの美しいフォーマルガーデン。
中央にはバッカス像が。
テムズ川がすぐそばに

お屋敷の正面玄関からほんの少し歩いていくと、もうすぐそこにはテムズ川が流れてます。
ずいぶんと前のことですが、テムズ川が氾濫しているのを知らずに遊びに行ったことがあり、付近の道を友人と靴を脱いで歩いたことを覚えてます・・・笑
私は地下鉄や列車でリッチモンド駅へ。
そこからおよそ2.5km歩きながらハムハウスに行きました。
夏にはテムズ河をボートでリッチモンドまで行くこともできます。
Ham House
Address : Ham Street, Ham, Richmond-upon-Thames,
TW10 7RS U.K.
Tel : 020 8940 1950
web : http://www.nationaltrust.org.uk/ham-house/