私は、大人の方を対象にアート鑑賞会や展覧会ガイド、自己発見のツールとして<アート鑑賞>を使った講座を開催してますが、
昔からお子さんのアート鑑賞にも関心をもっていました。
イギリス留学中に美術館で見た多くの学校から来ている子どもたち。
美術館の床にべたっと座りにぎやかに鑑賞している姿を見てその自由な雰囲気に驚きました。
先月参加した”ママのためのオンラインフェス”で、今後やっていきたいことを話したんです。
子ども向けのアート鑑賞と、子どもに関わるお仕事をされている方向けのアート思考と対話鑑賞を使った、ものの見方を変える講座。
どうして私がやりたいと思っているのかというと、美術がとても苦手だったというところにさかのぼります。
アートエデュケーターとしてアート、アートと言ってるから、絵を描いたり制作することもできるように思われているようですが、実は絵が本当に下手くそで、「子どものころ一番避けたかった授業は美術です」と言うとかなり驚かれます。
作品を作ることにはコンプレックスしかありません。
一番古い記憶は幼稚園の時。
粘土で何か造りましょうと言われたけど何を作っていいのかぜんぜんわからず、丸くボールにしてコロコロ転がし続けていた苦い思い出。
中学での授業では、5分とか10分とかでデッサンを仕上げるという時間があったのですが毎回泣きそうだった。
イタリア旅行で訪れた、シチリア島のパレルモにある素敵な修道院の中庭で一緒に行った妹が絵を描きたいとスケッチブックを広げました。
待っている間私も少しだけ描いてみようかなーと描いていたものの、通りがかりの人が覗き込んでくるから気が気じゃない・・・
妹の絵を見た後、私の落書きのようなものをみた男性が、頑張れよーという複雑な顔していったのが忘れられません。
最近では、姪っ子に絵を描いてと言われて見せた絵のひどさに、なんとも言えない顔をされた。
子どもながら下手だとか、何だこれとは言ってはいけないとわかってるんだね。
ここまで書いてて、こんな私がアートが好きなのは、不思議なものだと思うし、下手だからこそ憧れのようなものもあるのかなと思いました。
そんな苦手意識の塊ではあるけれど、下手は下手なりに工夫はしていたのです。
多分小学校の授業で、出来上がっている木の箱にデザインをしようという課題がありました。
私は彫刻刀でデザインを彫り、それだけだと面白くないから、火で炙って黒くして渋い箱を制作しました。
私の中では工夫してみた!ちょっと変ったことやった!という意識ではあったけど、なんてことなかったのかな。
先生は特になんにも言わなかった。
上手い子にしか褒めないし、注目もされないなという記憶しかない。
「上手だね」「良い作品ができたね」という言葉がほしかったのではなく、
「なぜ黒くしたの?面白いね」「どうやったの?」という自分なりに工夫したところに気づいてほしかったなと。
学校の授業だと先生も点数をつけないといけないだろう。
こういうことを教えないといけない、こんなことを習得してもらわないとという指導する上でのこともあるのだろう。
でも一人一人の子が少しでも良いもの作ろうと工夫したところ、意識したところに気づいて言葉をかけてあげれたら、きっとその子にとって自信になるのではないかなと自分の体験を振り返り思いました。
だからこそ、アート鑑賞をとおして自分の興味あることや好きなことを見つけて、自分らしさをどんどんと表現してほしい。
一人一人の子が見つけたアートからの気づき、言葉にした自分の気持ちを受け取ってあげたいなとも思ってます。
そして、子どもと関わるお仕事をされている方にも、アート鑑賞で深く観察することや多角視点で見る楽しさを体験して欲しい。
それは子どもの個性に気づいて背中を押してあげるきっかけになるのではないかなと思ったのです。
まだまだ計画中のことですが、今後やっていきたいことを書いてみました!!