「至高の感性は宗教と芸術である」
こう書いたのは、19世紀期末から20世紀に移っていくオーストリア、ウィーンで活躍した画家エゴン・シーレ。
▼2023年には彼の個展が東京で開催されました。
「ウィーンが生んだ若き天才 エゴン・シーレ展」
この記事は、私たちアート思考プロジェクトメンバーによる、エゴン・シーレの対話鑑賞の記録です。
テーマは、シーレの言葉の意味を探ること。
展覧会に出ていた作品7枚を、LINEを使ってメッセージを送り合うというやり方で対話鑑賞しています。
今回の言葉はちょっとむずかしそうかも・・・と始める前は不安もあったのですが、終わってみるとなかなか深い話ができたんじゃない?と思っています。
前回は、岡本太郎の「本職?人間だ。」に込められた意味をテーマに鑑賞しています。
画家エゴン・シーレを知っていますか?
エゴン・シーレは、画家人生約10年間で、300点もの絵画やデッサンを残しています。
そう、28歳という若さで亡くなってしまったので、10年というとても短い時間なのです・・・
身体の歪み、内省、悲劇、欲望などを暗い色彩や、独特の線や色の重ね方で表現した絵。
初めて見た時は生々しくてとっつきにくい絵でしたが、表現したかったのは心の中の不安や苦痛なのだとわかると絵の解釈が広がりました。
▼シーレの生涯を少しまとめています。
1890年6月12日・・・オーストリア、ウィーン近郊の街で生まれる。
1905年・・・父が亡くなった年、初めての自画像を描く。
1906年・・・ウィーン工芸美術学校を卒業後、16歳でウィーン美術アカデミーに入学。ウィーンを代表する画家、グスタフ・クリムトに弟子入りを志願し、彼の影響を受ける作品が多くなる。
1909年・・・美術アカデミーを退学。友人とグループ展をしたり、クリムトの招待で作品を出品したりする。
1910年・・・多くのパトロンと知り合い、自分の作風を確立していく。
1911年・・・ウィーンで開催した初の個展で注目を浴びる。モデル、恋人となるヴァリー・ノイツィルと知り合う。
1912年・・・「ノイレングバッハ事件」と言われる、未成年の少女に対する性犯罪の容疑で逮捕される。釈放後は各地を旅行したあと、ウィーンに落ち着く。
1915年・・・軍役でプラハに配属。作品が制作できる状況ではなくなる。(1914年第一次世界大戦勃発)ヴァリーと別れエディト・ハルムスと結婚
1916年〜1917年・・・多数の展覧会に参加
1918年・・・2月クリムト死去。3月ウィーン分離派展で成功し、多数の新規注文を受ける。10月28日エディト死去。10月31日、28歳でシーレもスペイン風邪で死去。(この年第一次大戦終わる)
「至高の感性は宗教と芸術である」の言葉は、詩の中の一部だった。
シーレは絵を描くだけにとどまらず、文章を書くことにも才能があったようです。
今回取り上げた言葉は、1910年の「芸術家」という詩の中の一部です。
展覧会で紹介されていたのはもう少し長い文章だったのですが、一部だけを使うことにしました。
▼こちらが展覧会で紹介されていた文章
至高の感性は宗教と芸術である。
エゴン・シーレ、詩「芸術家」より、1910年
自然は目的である。
しかし、そこには神が存在し、そして僕は神を強く、とても強く、もっとも強く感じる。」
シーレは、絵を通して自分の内面に深く深く入り込んでいって、人生の真実を見つけようとしています。
それは詩でも同じで、言葉を紡ぐことで自分の人生を探究しているように感じます。
直筆の詩や手紙も美術館に多数保存されていて、オンライン上に公開されています。
今回鑑賞する詩を探したのですが見つからなかったので、別の詩のリンクを貼っておきます。
(可愛いらしい字を見ると親近感わきます)
poem "Wet Evening" by Egon Schiele (レオポルド美術館のHP)
エゴン・シーレの言葉「至高の感性は宗教と芸術である」をテーマに対話鑑賞をしてみた!
やっとですが、対話鑑賞はここからスタートです。
3つのパートに分けています。
パート1:言葉の意味を考える。
パート2:絵の鑑賞。
パート3:ふたたび言葉に戻って話し合う。
パート1:「至高の感性は宗教と芸術である」その言葉の意味を考えるパート
まず初めは、言葉の意味、”感性”、”宗教”や”芸術”が何なのか?を話しています。
出てきたのはこんなこと・・
感性 → 人にしか感じられないもの、感じようとする感覚、受け取れる力、自分の中と外にあるもの
宗教 → 信じて疑わない思考、人の心の中にあるもの、自分の心の中を追求する
芸術 → 表現、世界や宇宙の真理を追求すること、人の心の中にあるもの、自分の外を追求する
自分の心の中を追求する宗教と、その心の中を外に表現したものが芸術で、この2つが揃って至高の感性となる。
だから宗教も芸術も必要なんだよね・・・というところに私たちは行きつきました。
パート2:7枚の絵の対話鑑賞タイム
次は、選んだ7枚の絵を見る鑑賞タイム。
シーレの印象的な線の描き方や暗い色使い、独特な色の塗り重ね方が、骨張った手や力強く開いた目を描くのにピッタリ。
絵からは、目に見えるものだけでない、心の中の不安感や苦しさなどが感じられます。
ふたたびシーレの言葉に戻ってみるパート
これまで話してきたことのまとめのパートに入ります。
いくつか出てきた言葉を書き出してみます。
人とは何か?
自分とは何か?
生きるとは何か?
そういったことを考えて、観察して見つめて表現をして感性を高めていった
社会や人間の本質を自分の芸術で表現する
至高の感性はその上になりたつ
至高の感性は宗教画変わるごとに芸術も変わる、
流動してうつろいゆくものなのかな。
至高の感性は自分の中にあるもので、決して受け身ではなく、自分で磨いて使っていくものなのではないのかな?
対話鑑賞を終えての感想
前回の岡本太郎の鑑賞のときも感じたことですが、やはり重要なのは”自分”なんだなということです。
シーレの言葉は一見むずかしいけれど、実はシンプルなことなのではないでしょうか?
自分の心を見つめ、表現していけってことなのかなと思うのです。
私たちは、自分自身であることよりも、会社などの組織の一員ということや、肩書きに安心していることが多い。
でも、都合が悪くなると、外に答えを求めたり、会社や社会のせいにしたりすることも。
”自分”というものをいつも放ったらかしにしているような気がする・・・
私の生きる意味とか、やりがいとかあまりむずかしく考えず、いつも自分の心にアクセスして、心が動かされる方向を選びとって生きていきたい。
そして自分をもっと信じようと思う!!
岡本太郎の回となぜかリンクして、こんな結論に至ってしまいました・・・笑
エゴン・シーレについてもうちょっと知りたい方へ
最後に、シーレの絵を見るが一番のおすすめですが、それ以外で私からおすすめしたい本と映画をご紹介します。
『エゴンシーレ 鏡の中の自画像』
『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』
クリムトとシーレの世界に迫る美術ドキュメンタリー映画。
時代は、19世紀が終わる世紀末で、やがて第一次世界大戦が始まるという世の中が不安感に包まれていく時。
これまでの社会が大きく変革していくときでもありました。
2人の作品がどんな社会で生み出されてきたのか知るのにぴったりの映画です。
そこには、フロイトの精神分析、音楽・建築・文学、コルセットを脱ぎ自立を求め出した女性など、今にもつながる変化がこの時起こっていたのだなと知ることができます。
私は映画館の大きなスクリーンで見たのですが、華やかな文化にうっとりして、ウィーンに行きたくなりましたよ!
次回は、「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」で、来日しているピカソの絵と言葉を対話鑑賞します。
どうぞお楽しみに。