17世紀のオランダの画家、レンブラントが描いた名作「放蕩息子の帰還」。
この絵は新約聖書の中の、イエス・キリストが語ったというとても有名なたとえ話のワンシーンが描かれています。レンブラントの個人的な体験と深い洞察が反映されているとも考えられていて、単なる宗教的物語以上のものを私たちに語りかけています。
暗い背景に浮かび上がる父と子の姿に、レンブラントは私たちに何を伝えたいと思ったのでしょうか?
描かれている感情や思いを受け取りながら、自分の心に問いかけてみてください。
あなたはこの物語を誰の視点から見ているでしょうか?
「放蕩息子の帰還」は父の深い愛と許しのストーリー
「放蕩息子の帰還」
レンブラント・ファン・レイン
1663−65年
エルミタージュ美術館所蔵
絵に描かれているのは、新約聖書の中にあるイエスが語った「放蕩息子の帰還」というとても有名なたとえ話です。
一言でいうと父の深い愛と許しのストーリー。
でも実は色んな側面から見ることができる深い話しでもあります。
父親は2人の息子に財産を分け与えますが、弟の方はそれを持って家を出ていきました。
彼は湯水のように財産を使い果し、そのうち食べるものにも困るようになる。
困窮のなかで自分の罪を悔い改めて父のもとに帰ろうと決意します。
父親は帰ってきた息子を喜んで迎え入れます。
そして「死んでいたのに生き返った、いなくなっていたのに見つかった」と、祝宴まで催します。
息子はお金、健康、信用など多くのものを失いましたが唯一失わなかったものがあります。
それが「父親の愛」です。
物語は父の愛として語られますが、”神の愛”がとても偉大であるということを伝えるたとえ話です。
レンブラントはイエスのたとえ話をどう描いているのか?
レンブラントは、戻ってきた息子を父親が優しく包み込んでいる瞬間をとらえています。
ぼろぼろになった服、すりむけているようにも見える足の裏。
息子は完全に弱りきった姿です。
そんな息子の背中に回した父の手や表情は、父の気持ちを上手く描き出していますね。
そして、この場面をさらにドラマチックにしているのにはこのような工夫が伺えます。
親子の対面を静かに見守る人物。
赤や金色で抑えた色使い。
奥に見える通路の入り口のアーチが、父親の肩や腕で作り出している丸みと似ている。
暗い背景の中で光によって親子の姿が浮かび上がっている。
レンブラントは50代になったころにはそれまでに築き上げてきた富を失い破産申告します。
2番めの奥さんヘンドリッケを失い、内にこもりがちとなり画風も変化しました。
鮮やかな光の効果や身振りの大きな豊かな表現よりも、内面を見つめるようなテーマの作品になっていったのです。
「放蕩息子の帰還」はレンブラント苦悩の日々の作品です。
この絵の中で自分自身を誰かに重ね合わせて描いていたのでしょうか・・・
誰にでも分け隔てない愛を注ぐ神?
息子を温かく迎え入れた父親?
父に謝罪の気持ちを伝え救いを求めた息子?
あなたはどう思いますか?
そしてなぜそのように考えましたか?
忘れてはいけないもう一人の人物
ここでもう一人の人物を忘れてはいけません。
それは、家を捨て困ったら戻ってくる自分勝手な弟が不在の間も父を支えてきた兄です。
彼は弟が戻ってきたとき怒りの気持ちを持ちました。
自分は長年父と共に働いてきたのに、弟のように祝宴などしてもらったことがないと・・・
そんな兄に対して父は、「お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ」とそれぞれに父の愛を受けていることを伝えたのです。
大切なことを忘れているだろう。弟を憎むのではなく、自分の豊かさをありがたく思い弟と和解することこそやらなくてはいけないことだと。
少しややこしい話しですが、一つの事実というものは実は存在しておらず、みんながそれぞれにもっている解釈(フィルターのようなもの)で世の中を見ています。
ここでは、父の、兄の、弟の見方があります。
ここには登場しませんが、母にも、この家族を見ている他の人の見方もあるはずですよね。
だから見る人によって色々なとり方があるというのが哲学の世界で長年言われていることです。
では、あなたは誰の視点からこの物語を見ていますか?
誰に共感できますか?また共感できませんか?
それはなぜですか?
ぜひそんな質問を自分に問いかけて、レンブラントの絵を鑑賞してみてください。
自分の価値観に問いかけるアート鑑賞。
アート鑑賞も、こちらのレンブラントの絵の話しと同じで自分の解釈を通してみているので人によって感じ方や受け取り方が違うのです。
その解釈の部分を深堀りすると、自分らしさが表れてきたりします。
あなたが絵画を見て感じた気持ちや気付きを、自分に問いかけながら丁寧に拾い上げてみませんか?