16世紀の北方ルネサンスの画家、ヤン・ホッサールト(マビューズ) が描いた『聖ルカによる聖母の肖像』。
この絵には、画家の守護聖人である聖ルカが、幻の中に現れた聖母マリアと幼子イエスを描いている場面が描かれています。天使に導かれるように描く聖ルカに、画家としての自分を投影しているのでしょうか?
しかし、よく見ると背景にひっそりと「ある人物」が描かれています。
それが、右上にひっそりと描かれた モーセの像。彼が指差すのは十戒。そこには「偶像を作るな」という言葉があります。では、画家は神聖なものを描いてもいいのでしょうか?
ホッサールトは、ただの宗教画を描いたわけではありません。
最初は「聖ルカがマリアを描いている絵」というシンプルな印象かもしれませんが、彼はこの絵を通じて「画家が神を描くことの意味」を私たちに問いかけているのです。
500年前の画家が悩んだことは、実は私たちの世界にもつながっているのかもしれません。
この絵を見ながら、自分に問いかけて考えてみませんか?
「最初の聖母子像」を描いたとされている聖ルカ伝説とは?
聖ルカは、新約聖書の中の四福音書のひとつ「ルカによる福音書」の著者とされる人物。
そして伝説によると、聖ルカは聖母マリアと幼子イエスの幻を見てそれを描いたと言われています。彼が描いたマリア像が「最初の聖母子像」とされていて、それを使って人びとを改宗させたといわれている。
宗教画の原型になったことで、彼は画家の守護聖人とされているのです。
では、この伝説を ヤン・ホッサールトはどのように描いたのでしょうか?
ヤン・ホッサールトの表現

これは 16世紀の画家ヤン・ホッサールト が描いた《聖ルカによる聖母の肖像》という絵です。
装飾が美しい建物の中で何かがおこっています。
中心で赤い服を着て絵を描いているのは、聖ルカという人物。彼は、画家の守護聖人とされていて、伝説によると、聖母マリアと幼いイエスの姿を幻のように見て描いたと言われています。
ここで面白いのは、彼の目が少し閉じていること。これは、「実際にマリアが目の前にいる」のではなく、「幻を見ながら描いている」ということを示しています。
確かに聖母子や天使たちは雲のようなものに覆われた中で浮遊していますよね。後ろには明るい光が立ち込めていて現実世界ではなさそう・・・
さらにグラデーション綺麗な翼を持った天使は聖ルカの肩に手をおき、筆を持つ手で導くようにしています。描かれた絵は文字通り天使の手で作られたものですね。
聖ルカの伝説では、彼が描いた聖母マリアの肖像は 神の導きによるものとされ、特別な神聖性があると考えられていました。でもホッサールトが描いた聖母と幼子には、そのような 神から与えられた権威 はありません。
では、画家はどのようにして 天上の存在を描くことができるのか? 聖母マリアやイエス・キリストの実際の姿を知ることはできない中で、どのように「それらしく」表現すればよいのか? これは、当時の画家にとって大きな課題でした。
画家はこの絵を通して「画家が宗教的な存在を描くことは正当なのか?」という問いを私たちに投げかけているのかもしれません。
モーセの存在に気づくと、絵の意味がガラッと変わる
でも、よく見てみてください…この絵には、ちょっとした「仕掛け」があります。
右上の方に、「灰色の彫刻」のようなものが見えませんか?実はこれモーセ なのです!モーセは十戒(じっかい)という神の掟が書かれた石の板を持っています。
そして彼の指先に注目すると、板に書かれたものを指し示すようにしている。なんと 「絵を描くことは許されるのか?」 という問いかけにつながるんです。
というのも、モーセが持つ「十戒」には、「偶像を作ってはならない」 という戒めがあります。どういうことかというと、「神の姿を描くことは本当に正しいのか?」という疑問が、この絵の中には込められているんですね。
画家が神のように創造を試みることや、宗教画そのものを崇拝することが問題視される可能性があるのです。
ホッサールトの画家としての挑戦状?
じゃあ、この絵って矛盾してるのでしょうか?
いいえ、むしろ私は画家の挑戦状のように受け取りました。
彼は モーセの「描くな」を背景に「宗教画を描くことは本当に正しいのか?」 という疑問を投げかけながら、「でも、聖ルカも神聖なイメージを描いたのだから、画家も宗教画を描くべきだ!」 と言っているようにも感じるのです。「自分の凄さ」を示すために、限られた条件の中で工夫を凝らしていたように感じます。
当時、画家は自由に作品を作ることはできず、パトロンの依頼に応じて描くのが基本でした。絵画も、宗教的な装飾や礼拝の道具としての役割が強かった。しかし画家たちは、「自分は単なる職人ではない」 という強い意識を持っていたのではないでしょうか。ホッサールトも、細密描写や遠近法を駆使し、さらに宗教画の意味そのものを問いかける要素を加えることで、「画家の役割」について考えさせる作品 を作っています。
🔍 ホッサールトの「自己アピール」のポイント
✔ 細密描写 → 「北方絵画の伝統を受け継ぐ第一人者」
✔ 遠近法を駆使した建築空間 → 「イタリアで学び、新しい技術も取り入れている」
✔ 宗教画の意味を問いかけるモーセ像 → 「単なる描き手ではなく、宗教画の本質を考える知性がある」
✔ 聖ルカの「神の手」と自分を重ねる構図 → 「自分の絵もまた、神聖なものを描くにふさわしい」
パトロンのために描くため、画家が自由に名を広めるのが難しかった時代、ホッサールトは宗教画を装いながら、自分の力を世に示そうとしたように思えてきます。
「本物を知らないのに描いてもいい?」—— 500年前の画家の問いかけは、今の私たちにも関係ある?
ホッサールトは、実際に見たことのない聖母マリアを描きました。それは、聖ルカが幻を見て描いたのと同じで、「本当に存在した姿」ではないかもしれません。しかし、それは単なる想像ではなく、「見えないものを形にする」試みだったのです。
彼が目の前にしたのは、聖ルカが幻の中で見たという誰も見たことのない存在。「本当にそこにいたのか?」「 どんな姿だったのか? 」「そもそも、描くことは許されるのか?」 そうした問いを抱えながら、この絵を描いたはずです。それは、画家としての「表現の正当性」と向き合うことだったのかもしれません。
私たちの場合でも同じようなことがあると思いませんか?
映画や小説で、歴史上の人物や出来事を扱う作品では、「史実と違う」と批判されることがありますよね。どこまでフィクションを加えていいのでしょうか?
AIが「芸術作品」を作ることが増えているけれど、それは本当にアートといえるのか? そもそも、「本物」って何だろう?
また「誰が正しいものを描けるのか?」という疑問も出てきます。
その「正しさ」を決めるのは誰? 「この表現は許される」「ここまではダメ」というルールは、どこまで必要なのか?
ホッサールトは、この絵を通して「画家はただの職人じゃない!」と伝えているように私には思えるのです。
さて、もしあなたが何かを形にするとしたら、それは本当に「自分が伝えたいこと」になっているでしょうか?500年前の画家が悩んだことは、実は私たちの世界にもつながっているのかもしれません。この絵を見ながら、自分に問いかけてみませんか?
タイトル:『聖母子を描く聖ルカ』(St. Luke Painting the Madonna)
画家:ヤン・ホッサールト(マビュース)(Jan Gossaert, gen. Mabuse )
制作年:1520-25年
所蔵美術館:ウィーン美術史美術館
この絵は本当に細かいところまで描かれていて、とても美しいのでぜひ美術館のサイトで拡大して隅々まで楽しんでみてください!!
こちらからウィーン美術史美術館のサイトへ