オランダ一番有名な画家で、美術史上でも偉大な画家と言われれているレンブラント・ファン・レイン(1606年〜1669年)。
レンブラントの代表作の巨大な絵で、誰もが一度はどこかで見たことがあるだろう「夜警」ついて、あなたはどれだけ知っていますか?(絵の大きさは縦363cm、横は437cmもあります!!)
実はこの絵は絵画的に素晴らしいだけでなく、たくさんの謎が隠されていて、そこが世界中の人々を魅了しているところでもあるんです。
記事では、「夜警」を18個のポイントで紐解いて、レンブラントの世界への旅にあなたを誘います。
レンブラント「夜警」についてあなたの知らない18つのこと
1.「夜警」なのに夜の絵ではない?!
「夜警」 The Night Watch
レンブラント・ファン・レイン
1642年
この絵のタイトルは「夜警 」。
でもこれはレンブラントがつけたタイトルではありません。
絵の表面のニスが汚れて暗い絵になっていたことから夜の景色だと思われて、このようなタイトルが付けられました。
実際は、フランス・バニンク・コック船長(黒衣、赤帯)とその副官ウィレム・ファン・ラウンテンブルグ(黄衣、白帯)率いる市警団一行が、朝日を浴びて行進をスタートする場面が描かれています。
1940年代に汚れたニスは剥がされましたが、このタイトルは残っています。
2. 正式名は実はとても長い
ではこの絵の正式なタイトルは、何なのでしょうか?
『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市警団』です。
(Militia Company of District II under the Command of Captain Frans Banninck Cocq )
あなたはどちらのタイトルが好きですか?
3. 絵の注文主は?
現在「夜警」があるのは、オランダの最大の美術館「アムステルダム国立美術館」(Rijksmuseum ライクスミュージアムと言います)
ちなみにRijksとは国立という意味です。
絵は、アムステルダムの市民警備隊のホール、クロフェニアス・ドーレン(Kloveniersdoelen)に飾られるために注文されたもの。
市警団は民兵や警察といった役割で、王族の来訪時に行われるパレードや、その他の祝祭の場でも重要な活躍をしていました。
この絵の描かれた17世紀半ばに実質的な防衛機能を失っていて、主にアムステルダムの富裕層や有力者だけが加入できる社交的な名誉職となって、ドーレンは集会所のような場所でした。
「夜警」はこのドーレンの大広間に約70年間掛けられていたのです。
4. レンブラントはいくら受け取った?
「34歳の自画像」
レンブラント・ファン・レイン
1640年
ライクスミュージアムによると、レンブラントはこの絵に対して1600ギルダーの報酬を受け取っています。
ギルダーは、2002年にユーロに変わるまで使われていたオランダの通貨です。
1600ギルダーーという金額は当時の国王の身代金と同等額?!とのこと。
絵に支払われる代金としてすごいですね。
5. レンブラントの絵はなぜ切り取られたのか?
ダム広場の市庁舎(アムステルダム)
ヘリット・ベルクヘイデ作
1672年
今私たちが見ている「夜警」は、レンブラントが描いたままの姿ではありません。!!
1715年、市警団の全盛期が過ぎて、アムステルダム市は絵画をクロフェニアス・ドーレンからアムステルダム市庁舎(現在の王宮)に移すことにします。
しかし絵が大きすぎ、市庁舎の絵を飾る場所に収まりきらないため、今では信じられませんが、一部が切り取られてしまいました。
切り取られた部分は見つかっていません。
6. どの部分が切り取られたのか?
「夜警」の模写
ヘリット・ランデンス
1642年以降
2018年〜2023年
では、レンブラントの絵のどこが切り取られたのか?
そしてどうしてそれがわかったのでしょうか?
そのことがわかる貴重な資料があります。
それがヘリット・ランデンスが描いたとされている『夜警』の複製品。
左、上部、右側が切り取られているのがわかります。
ロンドンにあるナショナル・ギャラリー所蔵作品で、2018年〜2023年の間ライクスミュージアムに貸し出しされていて、オリジナル作品のそばに展示されています。
7. 当時は不評だった?集団肖像画の型破りな描き方「夜警 」
「ミーグル・カンパニー
(Reinier Reael大尉とCornelis Michielsz Blaeuw大尉のカンパニー)」
フランス・ハルス
1633-1637
「夜警」の大きな魅力は、静止画ではなくてダイナミックな動きが感じられるところ。
暗い背景から群衆がこちらに進んでくる様子を、一人一人を生き生きと描くことで成功させています。
枠に収まらず、広がっている人物の描き方が、無限の空間の存在を感じられます。
レンブラントの時代には、上記の絵のように集団肖像画が非常に人気がありました。
しかし、その肖像画の中で実際に何かをする人物を描いたのはレンブラントが初めて。
黒服の隊長は、中尉に行進を始めるように言っていて、レンブラントは、明らかに動いている軍人を描くことで、これまでの習わしを破ったのである。
そして、ここに描かれている34人の人物は均等に描かれていないというところにも注目です。後ろの方にいる人物については暗くて誰が誰がかわかりくい。
この不公平さも集団肖像画の伝統とかけ離れていたところです。
8. 絵の完成以降は徐々に人気は下がり坂に
レンブラントが絵の注文を受けたのは画家としてノリに乗っている1640年。
34歳ですでに巨匠と言われるような社会的地位もありました。
しかし、1642年『夜警』完成後、最愛の妻サスキアが亡くなり、少しづつ状況が傾いていきます。
その時レンブラントは豪邸を持ち、壮大で非常に高価な美術品のコレクションを持っていましたが、すでに人気は下がり坂でした。
やがて借金を抱え込み、私生活にも問題があったとする研究者もいます。
息子ティトゥスが1668年に亡くなった翌年、レンブラントは63歳で亡くなります。
その時教会の所有する区画に無名の墓で埋葬されました。
9. 甲冑姿の男性とブロンド女性は誰なのでしょうか?
バニング・コック隊長の後ろに見える、マスケット銃を撃っている黒い甲冑姿の無名な男。
彼は誰なのでしょうか?
特定の人物ではなく、象徴的な意味合いで描かれた人です。
兜を飾る樫の葉は、名声と勝利を連想させて、個人を表すというよりも、市民衛兵全体を象徴するキャラクターであることを示唆している。
また、左側で光に当たって目立っているブロンドの髪の女性。
彼女も衛兵なのでしょうか?
彼女のベルトの上の死んだ鶏の爪はクラウヴェニエ(アークビュジエ)を、鶏の後ろのピストルはクローバーを表し、民兵のゴブレットを持っている彼女は、一種のマスコットそのものである
10. 盾は誰が描いたのか?
この絵には後から加えられた部分があります。それが盾です。
盾には、18人の名前が記載されています。
彼らは絵に描かれるためにお金を払った人々。
この盾を誰が書いたのかはわかっていません。
絵の具を調べるとあとから描き足されたことが判明しているため、弟子が描いたのでは?という専門家の意見もあります。
しかし、描かれている名前と顔は分かっています。
2008年に歴史学者、バス・ドゥドク・ファン・ヒールが18名の名前と顔を一致させたのです!!
11. レンブラントのサインの謎
レンブラントはいくつかのサインを使い分けていました。
1633年以降は「Rembrandt f.」と書き、その後に完成した年を記しています。
「夜警」のどこにサインがあるか見つけることができますか?
fというのはラテン語の「fecit」の略で、作ったという意味があります。
レンブラントはファーストネームで知られる画家になるために、早い段階から作品に「Rembrandt」だけを著名していました。
ファーストネームだけで誰だかわかる画家といえば、ラファエロ、ミケランジェロ、ティツィアーノなどほんの数名しかいないのです。
レンブラントの野望が叶ったわけですね。
12. レンブラント自身も登場。どんな意味があるのでしょうか?
絵の中央、緑色の服を着た男と金属製のヘルメットをかぶった衛兵の背後に、目とベレー帽だけが見えている不審な男の顔が…
この男はレンブラント本人だと言われています。
レンブラントはこのように自分の姿を描きこむことがありますが、そこにはどんな意味があったのでしょうか。
13. 右下の白いかたまりは何?
この白くぼんやり霞んでしまったのは、太鼓の音に驚いた犬。
徐々に目立たなくなり、今では白っぽく霞んでいるだけのこの犬の姿に、なぜこうなってしまったのか研究者は今も調査を続けています。
レンブラントは作業工程、材料などを書き留めて残すということをしていませんでした。
そのため絵の研究は進んでいますがどのように描いたのかについてはまだわからないことが多い。
そのあたりの研究が進めば、犬が霞んでしまった原因もわかるのでしょう。
14. 何かをする人々を描くための工夫
オランダで流行していた集団肖像画の中で、揃ってこちらを向いてポーズをどる人々ではなく、実際に"何かをする人物"を描いたのはレンブラントが初めて。
街の城門から出て行進をまさに始めようとしたその瞬間が切り取られています。
フランス・バニンク・コック隊長は、杖をしっかりと地面に突き立て、サッシュをはためかせながら、一歩前に出ています。
そして前方を指差して、横に立つファン・ラウテンブルグ副隊長に命令する。
「前方行進!」。
きちんと並んだ姿ではなく、慌てて集まって動き出そうとする活気に溢れた人々の姿。
さぁ出陣の時間です。
旗手が重そうな旗を高く掲げ、兵士たちは武器を手にする。
太鼓を打ち鳴らされます。
その音に犬も驚いています。
等身大より少し大きい人物の姿。
絵の大きさ。
コック隊長がこちらに手を伸ばしている様子。
鉾や小銃が突き出されているところからも臨場感を感じさせています。
15. 夜警とライクスミュージアム
1816年、アムステルダム中心地にある、元武器商人の邸宅トリッペンハウスに国立美術館が移転。
1885年まで「夜警」はここに飾られます。
そして同年現在のライクスミュージアムが完成し、他のレンブラントの作品とともに移動しました。
16. 夜警は3回も破壊されていた
1911年1人の男が絵を切り裂こうとしました。
警備員の対応が早かったのでニス層に傷がついただけでした。
1990年には、硫酸のスプレーを持った男が噴射しました。
ここでも警備員が素早く対応して、ニス層だけで助かった。
しかし1975年9月14日の事件は衝撃的でした。
スマートな衣装の男性が「夜警」に迷うことなく近づき、ナイフでキャンバスを切り付けました。
被害は甚大で、三角形のキャンバスの破片が切り裂かれて床に落ちていたそうです。
8ヶ月もかけて損傷を修復。
眼に見える被害は残っていないということですが、これからも時間が経過した後の影響を観察し続ける必要があるということです。
17. これまで25回の修復を受けている
ライクスミュージアムによると、「夜警」は400年の間に、少なくとも25回の修復を受けていて、全て記録されているはずではないのでそれ以上受けている可能性もあるということ。
美術品の調査や修復技術は時代とともに進化しているので、過去の修復によるであろう痛みがあるのも事実。
素人目にはわからないのだろうと思いますが、バニンク・コック隊長の顔や服、左の赤い服の人物の頭にも汚れを取り除いた摩耗が見られるそうです。
18. 2019年には大掛かりの修復作業が行われた
2019年7月、ライクスミュージアムは『ナイト・ウォッチ』の過去最大規模の調査・修復プロジェクトを開始しました。これは館内で行われていて、美術館のサイト内で動画などがたくさん公開されています。
最適な修復計画のための調査から、最先端の技術を使っての作業です。ガラス壁の向こうにキャンバスは掛けられて、作業の過程を美術館でも、オンライン上でも見られるようになっている!!