「アルジャントゥイユの庭でのモネ一家」
エドゥアール・マネ
1874年
メトロポリタン美術館
画家って一人で黙々と絵を描いているイメージがあるかもしれませんが、仲間で協力し合ったり、影響を与えあったり、またまたライバル視されたりというエピソードもたくさん残っています。
特に印象派は、グループ展開催から始まって互いの家を訪問したりして絵を描き合ったりする横のつながりがとても多いです。
ここではそんな作品をご紹介します。
マネが描いたモネ一家の自宅庭でのひととき
絵を描いたのはエドゥアール・マネ。そして描かれてているのはクロード・モネです。
知っている方にはそんなこと説明されなくてもわかってるわ!と言われそうですが、似ているため名前で混乱する方もいらっしゃるかもしれないので最初に説明をさせていただきました。
エドゥアール・マネは、1832年にパリに生まれた画家です。19世紀半ばの急速に近代化していくパリで、それまで続けられてきた伝統的な絵画というものから離れて、革新的なスタイルを打ち出していった画家。それは大きな批判を受けることになるのですが、後に続いたモネやルノワールたち印象派の画家たちに影響を与えた人でもあります。
1874年7月から8月にかけて、マネは実家のあるフランスのジュヌヴィリエで休暇を過ごしました。ジュヌヴィリエのセーヌ川を挟んで対岸にあるのが、モネの住んでいた街アルジャントゥイユ。
モネの絵が好きな方はぜひこアルジャントゥイユという地名を覚えておくことをおすすめします!!絵のタイトルに出てきたり、彼のことを書かれた本によく登場するからです。
その年の夏、2人の画家は頻繁に顔を合わせていて、ある日マネは自宅庭でくつろぐモネ一家を描いたのでした。それがこの一枚。大きなじょうろの側には庭の手入れをしているモネの姿。芝生の上でくつろぐのは奥さんのカミーユさんと長男のジャン君です。マネは左の方に3羽の鳥を描いているの気づきましたか?この3羽がモネ一家の姿と重なって微笑ましさを感じますね
後輩モネの影響を受け外で自然をテーマにした絵を描いた
マネはこの時期に、8歳下の後輩のモネから自然の中で自然の題材を描くことを学ぼうとしていきます。
モネたちが自分たちで開催していた印象派展に、マネは誘われつつも一度も参加しませんでした。
そういう意味では印象派とは別として語られるのですが、絵を描く姿勢に関してはこのように大きく共感し合っていました。
マネが絵を描いている間、モネはマネを描いていました。
そして少し遅れて到着したルノワールは、絵の具、筆、キャンバスを借り、マネの隣に陣取って「モネ夫人とその息子」を描きました。それが下の絵。
マネとルノワールの2枚を比較してみてください。画家の特徴がでているのではないでしょうか?
比較するポイントは、色の選び方やのせ方、構図など。
どう感じましたか?