「34歳の自画像」
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン
1640年
ナショナル・ギャラリー(ロンドン)所蔵
今現在、ナショナルギャラリー展で日本に来日しているこちらのレンブラントの自画像。
34歳の姿ですが、ずいぶんと大人びて落ち着いて見える自画像ですよね。
いつも思うのですが、昔の人の方が大人になるのが早い。
仕事についたり、結婚するのも早いから、若くして独立していることや、今よりもいろんな意味での自由はなかったはずだから生活とか仕事とかにシビアだったということもあるかもしれない。
レンブラントは自画像を多く残している画家です。
その時代の彼の姿をよく表現していて、彼の年表と照らし合わせながら並べて見てみると気づくことも多くとても興味深いです。
この34歳の自画像は、画家としても成功しノリに乗っている時のものです。
どうだ!という自信に満ち溢れているのが感じられるのです。
レンブラントは1606年7月15日にオランダのライデンに、製粉業に携わる父親とパン屋の娘であった母親との間に生まれました。
当時の中流階級の8番目の子供として成長し、7歳の時にはラテン語学校に入学したということですから、家は比較的裕福で両親も良い教育を受けさせたいという想いが強かったことがわかります。
しかしレンブラントは大学に入学するものの、途中で画家になることに転向します。
歴史画家である有名な画家に弟子入りし、その師匠から大きな影響を受けて、画家として大きく成功したいと野心を持って行動していきます。
その1つが自分をどうアピールしていくかというもの。
セルフプロデュース力です。
西洋美術の歴史上、ファーストネームのみで広く知られている美術家は、数えるほどしかいない。そこに名を連ねるのはラファエロ(・サンツィオ)、ミケランジェロ(・ブオナローティ)、ティツィアーノ(・ヴェチェッリオ)などの、選び抜かれた者たちだけである。どこのラファエロがあの名高き画家で、どこのミケランジェロがあの名高い彫刻家なのかを特定する名字なしでも、その名声が広まっていったことは、歴史が証明するところである。レンブラントは画業の早い段階で、自分もまたファーストネームだけで知られる画家だと心に決め、作品には単に「レンブラント」と署名した。その選択は、自分の能力に対する溢れんばかりの自信を示している (ロンドン・ナショナル・ギャラリー展図録より)
この文章を読んだ時、ちょっと鳥肌がたちました。
確かにファーストネームだけで知られるアーティストは少ない。
たいがいはラストネーム(名字)の方で呼ばれるからですね。
レンブラントはその戦略に成功したんですよね。
しかも相当の自信がなければそんな選択はできなかったのだとも思います。
そしてサインだけでなく、ちゃんと自画像にもその名高い巨匠の作品からの影響を残しています。
「ジェローラモ(?)・バルバリゴの肖像」
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1510年ごろ
ナショナル・ギャラリー(ロンドン)所蔵
レンブラントの自画像より約130年くらい前の、ヴェネツィアで活躍したティツィアーノの作品。
ひと目でアイデアを得ているなーってわかりますよね。
こちらも自信たっぷり堂々とした姿。
こちらをみる目線にも力を感じます。
1631年にはライデンを出てアムステルダムに移っていたレンブラント。
アムステルダムのアート収集家がこの作品のオリジナルか模写を所有していたそうなので、レンブラントも見たであろうと言われています。