ファン・エイク「アルノルフィーニの肖像」で知っておきたい7つのこと

何時間でも見ていられる・・・
魔法のように現実の世界が一枚の板の上に作りだされた、今から約600年ほど前の絵。

それは、ロンドンのナショナル・ギャラリーの至宝、ヤン・ファン・エイクが15世紀のフランドルを舞台に描いた「アルノルフィーニの肖像」です。

今日に至るまで、その神秘的な魅力は色褪せることがありません。そのわけは、この絵には多くの謎や興味を惹かれる事実があって、さまざまな専門家が今もその謎の解明に取り組んでいるからです。

絵画に描かれているのは、アルノルフィーニと彼の妻とされていますが、実は正確な身元から、何をしているのかなどはっきりしていません。また、鏡に映る謎の人物や部屋の中にある象徴的な品々は、この絵は単なる肖像画を超えた意味を秘めています。さらに、この作品の所有者の移り変わりを追うことで、私たちは絵画がたどってきた歴史的な旅路と、それが持つ社会的・文化的な重要性を理解することができます。

この絵には多くの謎や興味を惹かれる事実があって、さまざまな専門家が今もその謎の解明に取り組んでいます。

一緒に、ヤン・ファン・エイクの不滅の名作を色々な角度から見つめてみませんか?

ファン・エイク「アルノルフィーニの肖像」で知っておきたい7つのこと

photo from wikimedia

ヤン・ファン・エイク
「アルノルフィーニの肖像」
1434年油彩・楢の木のパネル
82.2x60cm
ロンドンナショナルギャラリー

描かれた2人は誰なのか?

「え?アルノルフィーニという人がモデルではないの??」と思われたかもしれませんね。

誰がこの絵のモデルなのか?についてもいろいろな説が出ています。

絵を所蔵しているロンドン、ナショナルギャラリーは、タイトルをジョヴァンニ (?)・アルノルフィーニと妻の肖像」としています。?をつけているんですね。

なぜはっきりわからないのでしょうか?

”アルノルフィーニ”の名前はどこから出てきたの?

アルノルフィーニ家の名前が出てきたのは、過去の絵の所有者の目録です。

その所有者は、神聖ローマ皇帝カール5世の叔母でもあるマルグリット・ドートリッシュ。彼女の手に絵が渡ったのが1516年のこと。彼女のアートコレクション目録に「アルノルフィーニ」という名前が登場するのです。

アルノルフィーニ家は、イタリアのルッカの高級織物商人。一族の数名が、ヤン・ファン・エイクが絵を描いていたフランドル地方のブルージュに住んでいました。

2人のジョヴァンニ

そのブルージュにはアルノルフィーニ家の2人のジョヴァンニがいました。

ジョバンニ・ディ・アルリゴ・アルノルフィーニ
ジョヴァンニ・ディ・ニコラオ・アルノルフィーニ

ややこしいですね・・・

当初絵のモデルは、ジョバンニ・ディ・アルリゴ・アルノルフィーニと妻のジャンヌ・ド・セナメの肖像画だと考えられていました。しかし二人が結婚したのは、肖像画が完成してから13年後のことだと判明し、新たな見方が出てきます。

それはもう1人、ジョヴァンニ・ディ・ニコラオ・アルノルフィーニと妻のコンスタンザ・トレンタを描いているというもの。でもここでもまた問題が・・・コンスタンザは絵が描かれる前の年に亡くなっているというものです。

ジョヴァンニが、亡くなった妻コンスタンザへの愛を追悼する肖像画であるという意見、また彼の2番目の妻のジョヴァンナ・チェナミなのではという説もあります。

ジョヴァンニ・ディ・ニコラオ・アルノルフィーニは、1400年ごろルッカに生まれ、亡くなったのは1472年。彼がモデルだという説だと、絵が描かれた頃は30代ごろだと思われます。

しかし、この特定は一般的に考えられているほど確かなものではなく、何度も疑問視されているようです。

同じモデルと思われる男性を描いた肖像画

「アルノルフィーニの肖像」の男性と同じモデルだろうと考えられている肖像画があります。

こちらの絵はドイツのベルリンにある絵画館所蔵の肖像画。「男性の肖像 (アルノルフィーニ家?)」

https://recherche.smb.museum/detail/863807/bildnis-eines-mannes-aus-der-familie-arnolfini?language=de&question=jan+van+eyck&limit=15&controls=none&collectionKey=GG&objIdx=0

どうですか?
顔の向きは違いますが、細い目に尖った鼻が似ていますね。こちらも毛皮の縁取りのついた高価そうな服を着ている。

このようにモデルははっきりしていないというのが現在のところ。今後新しい発見があるたびに見解が変わっていくのだと思うとそれも楽しみですね。

2人は結婚の誓いをしているのか?

この絵は長い間、リッチなカップルの結婚の儀式を描いていると思われていました。男性が右手を挙げて儀式の最中「誓います」と言っているところだという説です。当時はこのように自宅で行うことが許されていたからです。

さらにその節を裏付けるのが、画家のサイン。壁にかかっている凸面鏡の上には、「Johannes de eyck fuit hic.1434」とラテン語で書かれています。意味は「ヤン・ファン・エイクここにありき 1434年」

さらに鏡には二人の人物が写っていて、サインを考えると一人はヤンファンエイク本人だと言えます。画家がこの場所にこの瞬間に立ち会ったよ!との証明であれば、儀式であると読み取れるわけです。

絵の中では、結婚の儀式だよということを暗示しているものが描かれていると考えられていて、その一つ一つ見ていきましょう。

ろうそくが1本たつシャンデリア

ブロンズ(青銅)でできた豪華なシャンデリアには、左に1本のろうそくが立っています。
こちらは明かりではなく象徴として描かれていて、その意味は「ただ一人への愛」や「忠誠」「神聖な光」だと言われています。

ペットの犬

2人の前にいる犬。
犬は絵画にもよく登場する動物ですが、「貞節」や「忠誠心」を表しています。夫婦の関係を象徴する意味で描かれているというわけです。

脱ぎ捨てられたサンダル

左手前の木靴や、奥にある赤いミュールは、無造作に脱ぎ捨てられています。きちんとした身なりの2人がポーズをとっているのに、脱ぎ散らかした感じがちょっと不自然ですよね。

キリスト教では、「足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」という教えがあるように、この部屋を神聖な場所として描いていると考えられています。

女性は妊娠しているの?

左手で自分のお腹あたりを押さえている女性。こうやって膨らんだお腹に私たちの視線を向けさせています。

妊娠をほのめかしている
できちゃった婚である
などこちらも色々な説がありました。

この時代、地位の高い女性が妊娠をしていることを仄めかす仕草や振る舞いが流行だったそうです。服の下にクッションを入れていた女性もいたとか。

豪華な布の重みを抑えているという案

妊娠説が広まったのは、1841年の評論家の「半年前に主君を愛した女性のように片手をお腹に当てている」という指摘がきっかけでは?と言っているのが、ファッション史家でもあるアンバー・ブッチャートさんです。できちゃった婚の女性というイメージを広めてしまったというわけですね。

私は、アンバーさんのさらなる研究結果が面白く、今はこちらを信じたいなぁと思っています。

彼女は、2018年BBCの番組のために、豪華なグリーンのガウンを制作しました。中世の染色技術を使って緑色を作り出し、実際に着用し動いたりしてみたようです。

ファッションの再構築:ファン・エイクのアルノルフィーニ肖像画に描かれたドレスより

再現されたアルノルフィーニのガウンを着ることで、緑色の服を着た女性は実際には妊娠していないのだという思いが強まった。
膨らんだ布の重みで自由に歩くことができないため、絵の中で彼女がしているように、布を高くあげることでバランスをとり、ファン・エイクの肖像画でお馴染みの姿勢を作り出しているのです。

ファッションの再構築:ファン・エイクのアルノルフィーニ肖像画に描かれたドレスより (訳はyoko)

確かに前の部分がたくし上げられて中の青いドレスが見えています。落ちないようにお腹を突き出すから膨らんで見えるの当然かも。


絵の中の季節はいつなのだろう?

2人が着ている服を見ると、完全に冬の格好ですよね。

男性は帽子をかぶって、テンの毛皮で縁取りされているベルベットのケープを羽織っています。女性ははアーミンの毛皮で縁取られたベルベットの緑のコート。中には鮮やかなブルーのドレスも見えています。

でも窓の外をちょっと見てみましょう。わずかな隙間からさくらんぼがなっているの見えるんです。こちらは桜科の植物のセイヨウミザクラ。

ということは、季節夏なのでしょうか?

2人の服装は、アルノルフィーニ家の富と社会的地位を示しています。また豪華な生地をふんだんに描くことで、高級織物商人としてビジネスで成功しているということを表しているとも言えます。

肖像画のためにとびっきりの衣装を用意して、ポーズを取ることに決めた考えるとチグハグな季節感も納得できるかも。

技量のすべてが詰まった鏡

当時ガラスの平面鏡はまだなく、凸面鏡が画家の作品に登場することがありました。

ファン・エイクはこんな小さな凸面鏡には、4人の人物、部屋の中、シャンデリアも描かれています。

そして、凸面鏡の特徴を使って私たちが見えているものより、さらに多くのものも映し出しているのが面白い。絵ではちらりとしか見えない窓や窓も大きく描かれていて、外の景色が映っています。明るい光もたくさん入っているのがわかりますよね。

でも男女の足元にご注目。犬は描かれていないようですね・・・なぜ?

現実世界を絵の中に作り出す。そのためにはたとえ鏡に映ったものもリアルでなければいけない。しかも鏡の実際の大きさは10cmにも満たないというから、緻密さに驚かされます・・・

もう私たちの肉眼でもはっきり見えない鏡の周りの10個の円。ここにはキリストの受難の場面が描かれています。こちらは次のところで詳しく説明しています。

部屋にあるものすべてに意味が隠されている?

部屋の中に描かれているたくさんの品々。自然にそこにあるように描かれていますが、実は色々と意味が隠されているというのです。

鏡の周りのエナメルのメダル

凸面鏡は、10個のエナメルのメダルで周囲を飾られています。中には、キリスト受難のシーンが描かれています。

上から時計回りに、磔刑、十字架降下、埋葬、冥府に降りるキリスト、復活、ゲッセマネの祈り、捕獲、ピラトの前のキリスト、鞭打ち、十字架の道行き。

鏡の横にあるのは水晶のロザリオ。これは贅沢品としてではなく、キリストの受難シーンと祈りを捧げるという意味で描かれているのでしょうか?

高価なもののオンパレード

中世のブルージュは、北欧や地中海の交易路と戦略的に結びついた商業の中心地であり、資本主義の発祥地と呼ばれる地域でした。

描かれているものは、アルノルフィーニ家の富を表すものとして登場していると言われています。

男女の豪華な衣装や宝石類
オレンジ
瓶底のガラス窓
水晶のロザリオ
トルコ風絨毯

豪華で大きなベット

絵の右側には、赤い布と4つの柱がある大きなベットがあります。ここは寝室なのでしょうか?
当時は、立派なベットが飾りもののように置かれた部屋が、客間のように使われていたと言われています。

聖マルガリタの彫り物

ベットの飾りには、アンティキアの聖マルガリタ(マルガレーテ)の祈る姿と聖女が倒したという龍の彫り物が見えます。

聖マルガリタは、妊婦・出産の守護聖人とされています。

その元になった伝説とは、キリスト教への信仰を捨てることを拒んだため、ドラゴンに飲み込まれる拷問を受けました。持っていた十字架の力を借りて、ドラゴンから無事に出てくることができたのです。

絵の所有者の移り変わり

今この絵を所蔵しているのは、ロンドンにあるナショナルギャラリーです。ナショナルギャラリーのホームページを見ると、1842年に売却したのはスコットランドの軍人、ジェームス・ヘイという人物となっています。

ブリュージュで描かれた絵が、どうやってロンドンの美術館へ移ってきたのでしょうか?

描かれたのは1434年。アルノルフィーニ家にあったはずですが、その後のことはわかりません。

1516年、スペインの貴族、ディエゴ・デ・ゲバラが、オランダの摂政であったマルグリット・ドートリッシュ(マーガレット・ド・オーストリア)に絵を贈ったことが記録に残っているようです。マルグリットは、神聖ローマ皇帝マクシミリアンの妹で、その後を継いだカール5世の叔母に当たる人物。

こちらの肖像画がマルグリットです。マルグリットの死後、カール5世の姪へ絵が渡り、さらにその後はスペイン王室のコレクションになりました。

その後、ナポレオンによるスペイン占領の混乱の中、フランス士官が絵をベルギーへ持ち込む。さらに、半島戦争でスコットランドの軍人、ジェームス・ヘイがブリュッセルで入手して、絵はイギリスへと渡ります。1842年にロンドンのナショナル・ギャラリーへ730ポンドという価格で売却。

ここまでは、ステファノ・ズッフィ著の「ファン・エイク アルノルフィーニの肖像」に書かれていたものです。

でも、ナショナルギャラリーのサイトを見ると、スペインでジェームス・ヘイが入手し、美術館へ・・・となっていますね。

細川祐子著の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」では、ジェームス・ヘイがスペイン王室コレクションから略取して、画家のトマス・ロレンス経由でジョージ4世に貸し出させる。そこから美術館へという流れが書かれています。

戦争にも巻き込まれ混乱した中に今から考えるとは破格の値段で売却されたようです。いやー残ってよかったなぁというのが私の感想。ナショナル・ギャラリーから出て、他の美術館での展示とは考えにくい絵なので、この絵を見るためにはロンドンまで行かないと見れないはずです!

ヤン・ファン・エイクについて

最後にヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)について少し触れておきます。こちらは自画像です。

1390年ごろ現在のオランダ・ベルギー・ドイツの国境近くで生まれたと考えられています。北方ルネサンスの巨匠、油彩技術を完成させた画家として知られています。

高めた油彩技術に同時代の画家は追いつこうと必死だったのだとか。

画家として優れていただけではなく、ブルゴーニュ公国のフィリップ三世(善良公)の”侍従にして画家”に任命されて、縁談交渉団の一員としてスペインやポルトガルにも行っています。

王の命令で”秘密の旅行”に出かけたり、王自らがアトリエを訪問したり、子供の洗礼親に王がなったりとものすごい信頼を受けていたことがわかるエピソードがたくさんある人物です。

1441年に亡くなった後、妻のマルガレーテに王から弔慰金が渡されています。

まとめ

いかがでしたか?

「アルノルフィーニの肖像」は、美術館で見るとこんなにも小さいのです。82.2x60cm。
ナショナル・ギャラリーの壁にちょこんと掛けられていました。82cmもあるので実際にはちょこんとではないのですが、他の巨大な絵と比べるとこじんまりして見える。

でもものすごくさまざまな謎や歴史が詰まっていて、調べれば調べるほど面白い情報が出てきます。そして描かれた世界をいつまでも見ていたくなるような美しく不思議な景色が広がっています。

そのギャップになんだかちょこんという言い方になってしまいました。

左手にあるのは上のご紹介した自画像です。右手は「ティモネオスの肖像」。ロンドンにある3枚のファン・エイク作品です。


ところで、ファン・エイクの妻の名前もマルガレーテ。
ベットの飾りに描かれていたのは、聖マルガリタ(マルガレーテ)。
さらに、この絵の所有者でもあった、マルグリット・ドートリッシュ。

フランス語・スペイン語・イタリア語・オランダ語・ドイツ語などと色々な書き方があるそうですが、全部同じ名前なんだとか。
このつながりもとっても気になります!

参考文献

https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/jan-van-eyck-the-arnolfini-portrait
https://www.britannica.com/art/oil-painting
https://artuk.org/discover/stories/fashion-reconstructed-the-dress-in-van-eycks-arnolfini-portrait
https://books.openedition.org/pcjb/2197

「ファン・エイク アルノルフィーニの肖像」ステファノ・ズッフィ
「ファン・エイク 西洋絵画の巨匠」小学館ウィークリーブック
「パパママおしえて アートミステリー13話」アンジェラ・ヴェンツェル
「美術の物語」E.H.ゴンブリッチ
「ロンドン・ナショナル・ギャラリー 名画がささやく激動の歴史」細川祐子


-ヤン・ファン・エイク, 西洋美術史の学び方