「西洋美術の歴史を旅しよう!西洋美術史入門講座」 4日目 北方ルネサンス・マニエリスム


イタリア・ルネサンスはいかがだったでしょうか?

地名やたくさん出てくる名前など、気になったりわからなかったりした部分は調べてみるとさらに理解ができると思いますよ。


4日目は北方ルネサンスマニエリスムです。

イタリア・ルネサンスが発展していた同じ頃、アルプスより北の地域で見られる芸術様式が北方ルネサンスと呼ばれています。

芸術家が目指したところは同じようでも、手段や結果に違いがみられます。

またイタリア・ルネサンスの終わりからバロックに移り変わっていく過程で出てきたマニエリスム。

それでは1つづつ見ていきましょう。

【北方ルネサンス:1400年−1540年ごろ】

どんな時代だったのか?


イタリア・ルネサンスは、フィレンツェで始まり発展してきた美術です。

その時期と同じ頃、ネーデルラント(今のオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)やドイツなど、アルプスより北の地域で生まれた芸術は北方ルネサンスと呼ばれています。

フランス・ヴァロワ家系のブルゴーニュ公国の一部となっていたネーデルラントは、この時期ヨーロッパでも、経済的に政治的にも重要な地域でした。

貿易や毛織産業で経済が発展し、美術の注文者が宗教関係者だけなく、裕福な銀行家や商人にも広がっていきました。

またブルゴーニュ公のフィリップ3世(善良公と呼ばれています)は、首都のディジョンよりもネーデルラントにある宮廷に重心を移したこともあり、芸術や文化も発展して行きました。

一時は本家フランス王家を超える発展をしたブルゴーニュ公国でしたが、1477年にシャルル(豪胆王と呼ばれています)が戦死し幕を閉じます。

ネーデルラントはシャルルの唯一の子である娘マリー・ド・ブルゴーニュが引き継ぎ、マリーがハプスブルグ家のマクシミリアン1世と結婚したことでネーデルラントはハプスブルグ家に支配下となります。

しかし、その後貿易で大きな発展をした港町ブルッヘが泥の推積によって船の出入りができなくなり、衰退していきます。

15世紀後半、そのブルッヘに変わって国際貿易都市として大きく発展したのがアントワープで、経済、芸術の中心地となっていきます。


北方ルネサンスの特徴とは?


15世紀は主にフランスのブルゴーニュ公国の支配下にあったネーデルラントで生まれたもので、ルネサンスとは言うものの前の時代のゴシックの雰囲気に近く、聖書の世界を中心とした作品が多くみられます。

古代ギリシア・ローマ美術の直接的な関連もここでは見られません。

しかし中世の時代のゴシックとは違い、写実性の高い作品がたくさん作られました。

作品はイタリアへも輸入されていき、写実性や画法がイタリア・ルネサンスに大きな影響を与えることに。

反対に15世紀末頃から、イタリアとの交流の中で彼らから古代ギリシア・ローマの美術を学ぶ。

このように相互の影響があったのですね。

イタリアは解剖学、遠近法、古代芸術の研究を通しての作品を生み出すのに対して、北方の画家たちは油彩によって生気ある人物や、緻密な細部表現を追求していきました。

それまで宗教画の背景や、場面作りの要素であった風景や静物が、風景画・静物画・風俗画として自立していったもの特色の1つです。


主な特徴をまとめてみましょう。

・油彩技術が完成し、リアルで緻密な風景や静物画が描かれる

・現実生活の中に聖書のシーンが登場

・シンボリズム(物に意味を持たせ描き込む)の発展

・斜め横顔や4分の3正面像の肖像画


北方ルネサンスの作品


▼ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻の肖像」1434年

油彩技術を完成させたと言われているヤン・ファン・エイクの作品。
裕福なイタリア商人の結婚の儀式に立ち合った画家による夫婦の肖像画と考えられています。(諸説あり)

一般家庭を聖なる空間にするために、シンボリズムが発展しました。
ろうそくの火 = 神(シャンデリアに一本のろうそくが立てられています)
犬 = 貞節
など

そして後ろの壁にかかっている凸面鏡にはファン・エイクの姿が描かれていて、さらに鏡を囲む丸の中にキリストの受難劇が描きこまれています(実寸なんと1cm!!)

Van Eyck - Arnolfini Portrait, Public Domain, via Wikimedia Commons

「アルノルフィーニ夫妻の肖像」についてはこちらの記事で詳しく書いています


▼ロベルト・カンピン
「受胎告知」
メロードの祭壇画の中央パネル 
1427-32年

遠近法はまだぎこちなさが残るものの、こちらも高度な写実性。
布、金属、陶器など質感の描き分けも見事ですね。
新約聖書の物語である「受胎告知」のシーンが、一般家庭の中に再現されています。
これも北方ルネサンスの特徴です。

Robert Campin-Annunciation triptych, Public Domain, via Wikimedia Commons



16世紀になると、イタリア・ルネサンスの影響を受けて、古代ギリシアやローマの古典を研究する「人文主義」は、北の地域では聖書の研究にもつながりました。そのことが宗教改革に発展していきます。


宗教改革とは?


1517年、ドイツの修道士マルティン・ルターが、ドイツの教会が贖宥状(しょくゆうじょう)という物を販売していたことに対しての疑問をまとめた「95か条の論題」を発表したことに始まります。
この贖宥状という書類は、ローマ教会が罪の償いを軽減できる証として販売していました。
教会は、「これを買えばあなたの罪は軽くなりますよ」というお墨付きを販売していたのです。


なぜそんなものを教会は販売していたのでしょうか?


聖堂は信者の人の心のよりどころで、神様とつながることができる重要な場所。
そしてローマ教会にとって権威を示す重要な場所だったのです。
中世の美術から教会の建築が発展してくるのを見てきたように、大きく豪華になればなるほどお金が必要になってきます。
贖宥状はその資金調達のためのものだったのです。
贖宥状は表向きは教会への献金ですが、裏では教皇や聖職者の腐敗のもとになっていて、ルターはそのことに疑問を投げかけたのです。
教会側はルターを破門します。
ルターに賛同する人々が声をあげ、ヨーロッパはローマ・カトリック教会とそれに対抗するプロテスタント(新教徒)が対立したのが宗教改革です。


主な特徴をまとめましょう

・市民階級を主題にした風俗画
・戒めのメッセージを込めた風刺画のような作品
・完成度が高い風景の描写

▼「ヴィーナスに文句を言うキューピット」ルカス・クラーナハ1世 1525年

キューピットは木の幹の穴からはちの巣を奪い、鉢に刺されて、母であるヴィーナスに泣き言を言っています。
ヴィーナスはそんな息子をあざ笑っている。キューピットがこれまでに犯してきた罪深き愛のいたずらの方が、よっぽど辛い心の痛みを与えているからです。(キューピットの放つ矢は人の恋心を操ることができるのです)
2人の後ろには美しい風景と、ドイツ特有の黒いうっそうとした森が描かれいます。

Lucas Cranach the Elder-Cupid complaining to Venus, Public Domain, via Wikimedia Commons

▼「子供の遊戯」ピーテル・ブリューゲル1世  1560年

約90種類の子供の遊びを描いた作品です。
ブリューゲルの意図は、成長期の子供にとって遊びは、知的で身体的な財産になるという考え方に共感したからだと言われています。
描かれた広場で遊ぶ子供達は約250人!!

Pieter Bruegel the Elder-Childrens's Games, Public Domain, via Wikimedia Commons


【マニエリスム:1520年後半〜1600年ごろ】


マニエリスムの語源は「マニエラ(洗練)」、「マンネリズム(マンネリ化のこと)」など定義についてはさまざまな意見があります。


宗教改革は北方のことだけではなく、動乱は17世紀まで続くヨーロッパ戦乱へと拡大していきます。
イタリアも1527年のカール5世によるローマの攻撃後は盛期ルネサンスが幕を閉じていきます。

そしてマニエリスムと呼ばれる、当時の不安感漂う社会情勢を表した様式が発展していきます。
ルネサンスのダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠たちが作り上げてきた高い水準を、さらに洗練し発展した様式という見方と、巨匠たちへの反動から生まれたとみる意見もあります。


主な特徴をみてみましょう。

・細くてうねったs字曲線の体

・誇張された技巧的な表現

・正気を感じられない人物

・暗くて複雑な色彩

・深い先進性や感情の表現


▼「愛の寓意」ブロンズィーノ 1540ー45年

左側には抱き合うヴィーナスとキューピッド。
その周りには「愚行」「欺瞞」「嫉妬」を表す人物が取り囲んでいます。
上には「時」がこの状況を覆い隠そうとして、それを「忘却」が妨げています。

Angelo Bronzino - Venus, Cupid, Folly and Time [Allegory of the Triumph of Venus], Public Domain, via Wikimedia Commons

5日目はバロック・ロココ・新古典主義です。
お楽しみに!



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