アートと自分をつなぐモノとコト

アンドレアス・メラーが描く11歳のマリア・テレジア

「少女時代のマリア・テレジアの肖像画」
アンドレアス・メラー (1684年ー1762年)
Andreas Moller
1727年
オーストリア国立美術史美術館

 

マリア・テレジアはオーストリア=ハプルブルグ家の女性君主、そしてフランス王妃マリー・アントワネットの母として良く知られていると思います。
肖像画は彼女が11歳の時のものです。
大きな瞳でこちらをじっと見つめてくる姿に、こちらも見返さずには入られません。

 

11歳とは思えない美しさの中に堂々とした姿。
マリア・テレジアの人生を知ると、この貫禄のある姿に納得できると思います。

 

マリアには、肖像画の美しさのとおり、結婚適齢期になるとさまざまな縁談が出てきました。
その中にはプロイセン王子のフリードリヒとの話もあり、フリードリヒは前向きに考えていたのですが、マリアテレジアには別に気になる人がいました。
実は6歳の時にウィーンの宮廷でみた9歳年上の男性に恋をしていたのでした。
それがロートリンゲン公フランツ。

マリア・テレジアとフランツは結婚し仲の良い夫婦として有名でした。

 

彼女は父カール6世死後、父親の定めたプラグマティッシェ=ザンクティオン(ハプスブルク家の家督継承法)によって、23歳の若さで即位してハプルブルグ家の家督を相続します。

その時にはすでにフランツとの間に3人の娘がいて、お腹にはもう1人子供がいたと言うから驚き。
その後も20年間に16人の子供を産んだのです。
仕事も超多忙なはずなのに、子供をたくさん産み育て、女王としても母親としてもずば抜けていたようです。

そんな彼女には様々なエピソードがあるのですが、2つご紹介したいと思います。

マリア・テレジアとフランツ夫婦にとって子供のたちの存在は大変大きかったようです。
子供のお芝居や舞踏会などが行われると正装した子供たちが登場しました。
たくさんの子供たちが王宮の中で、1つの芸事に熱中したり無邪気に遊んだりすることは、他の王室では滅多に見られないことだったそうです。
しかし、マリア・テレジアの子どもたちはシェーンブルン宮殿でのびのびと育てられていたようです。
シェーンブルン宮殿の鏡の間という大広間で、幼いモーツァルトが彼女の前でピアノを演奏したことは有名です。

 

1740年、マリア=テレジアがハプスブルク家家督を相続し、オーストリア大公妃などに即位しました。
プロイセン王国の国王フリードリヒ2世は、その相続の条件としてシュレジェンという地域の割譲を要求。
そしてバイエルン公カール=アルブレヒトは神聖ローマ皇帝位を望みました。
フランスのブルボン朝ルイ15世も同調してオーストリアに対し開戦しました。
これがオーストリア継承戦争と呼ばれています。

若いマリア・テレジアにとっては、即位と同時に難題がふりかかりました。
しかも女性ということで周りからは相手にされなかったり、軽く見られたりと非常に苦しみます。

でもその窮地に彼女はハンガリーに行き、ハンガリー貴族たちと5ヶ月に渡る交渉を重ねました。
純白の衣装を着て、父の喪に服して黒のヴェールをまとい、涙ながらに心情を訴えたのだとか。
彼女の威厳にあふれた姿に魅了されたハンガリー人は、3万の兵と多額の軍資金を約束したそうです。

 

その後困難な闘いを切り抜けたマリア・テレジアは、シュレジェンは失ったものの他の家督の相続は認められました。
1745年には、夫のフランツ1世が、神聖ローマ帝国皇帝に即位したのです。

 

きっと最初は若い女に何ができると小馬鹿にしていた男性たちも、彼女の行動力と美貌に引き込まれていったのでしょう。

 

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