アートと自分をつなぐモノとコト

ピーテル・ブリューゲルの2人の息子の画家としての対照的な生涯

先日豊田市美術館で開催中の「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」に行きました。

ピーテル・ブリューゲル1世(1世ではなく父とも表現される)から繋がった画家一族の繁栄の歴史を堪能しました。

 

そんなブリューゲル一族のこと色々と調べていく中で、ピーテル・ブリューゲル1世の2人の息子たちのことにとても興味がわきました。

画家として成功した2人の息子の功績は父の人気をさらに高めていくことになりました。

でも2人の画家としての歩み方や人生はとても対照的であったようです。

これはよく言われる兄弟の生まれ順の違いによるものなのだろうか・・・

長男は真面目で几帳面でみんなを引っ張る完璧主義

中間子は社交的で自立して容量がいい

 

もちろんこれは一般論だし、当てはまらない場合もたくさんあるだろうけど。

でもこれをちょっと頭の片隅において2人の歩みを見てみるとちょっと面白いと思います。

 

長男のピーテル・ブリューゲル2世(こちらも2世ではなく子とも表現される)は、工房の親方として助手を雇い父のコピーを大量生産。

父の作品人気に応えるように制作していきました。

弟のヤン・ブリューゲル1世(父とも表現される)は独自路線の静物画で成功し、あのルーベンスと共作もしていました。

そしてブリューゲル一族と言ってもこの後に続くのはヤンの子孫ばかりです。

 

どうですか?

 

ピーテルとヤンのことをちょっと詳しく見ていきましょう!

 

父のコピーを量産した長男ピーテル

父が亡くなったとき、ピーテルはまだ5歳前後。

子供の頃は弟のヤンと共に、母の祖母で女流画家としても評価されていたマイケン・ヴェルフルスト(Mayken Verhulst 1518頃-1600頃)から絵の手ほどきを受けました。

風景画家のヒリス・ヴァン・コーニンクスローの工房で学んだのち、20歳ごろに親方ピーテル・ブリューゲルの息子として工房の親方に登録されます。

工房では9人前後の助手を使い父のコピーやブリューゲル風の作品を大量生産していきました。

正確にはわかりませんが工房作の総数は1000点以上といわれ、そのうち7割は父のコピーでした

「ブリューゲルの世界」森洋子

 

なぜ父の作品をそんなに制作したのでしょうか?

父ピーテルの絵はその死後も大人気だったようです。

17世紀になると、ブリューゲルの絵がコレクターたちの間でブームになったことや、絵が王族や上流階級だけではなく大衆にも購入できるようになっていったことが大きいようです。

 

ではどんな方法で作らたのでしょうか?

コピーの方法については、ベルギーの王立文化財研究所のC・キュリ博士の実験によると大半は下図から写しをとった紙に描かれた輪郭線に沿って無数に孔を開け、実際に描くパネルの上に重ね、粉袋でたたき、その点線を機械的にトレースしていたようです(pouncing)。こうして点線入りの下図用手本(model drawing)ないし、”型紙”がコピー制作のツールになったといいます。 「ブリューゲルの世界」 森洋子

ブリューゲルの作品は小さくて精密です。それをこんな方法でコピーして制作していたんですね。

気の遠くなるような作業です。

もちろんコピーだけではなくブリューゲル風のピーテル2世オリジナルの作品も制作されていたようです。

 

静物画で人気者になった次男ヤン

ヤンも兄と共に祖母マイケンから絵の手ほどきを受けたのち、ピーテル・フートキンに師事。

その後はドイツやイタリアに滞在。

イタリアでは、ミラノの大司教であるフェデリコ・ボッロメーオ枢機卿から絵を高く評価されました。

このボッロメーオ枢機卿は美術を愛する人物で、1607年に創立したミラノのアンブロシオーナ絵画館・図書館は彼の収集した美術コレクションが始まりとなっているようです。

ヨーロッパ内でも最古の図書館は、その後様々な寄贈美術品によって素晴らしいコレクションをもつ絵画館となりました。

 

後継者という立場に縛られなかった彼は、父のコピーの制作もしたが、独自の画風を確立します。

1596年、28歳の時にアントワープに帰国すると「花のブリューゲル」と呼ばれるようになった花、昆虫を色鮮やかに描きました。

 

ヤンの9歳年下のルーベンスもイタリアに滞在したのち1609年にアントワープに戻ってきます。

ルーベンスはアルブレヒト大公の宮廷画家になり、ヤンも宮廷画家の並みの待遇を受けていました。

ルーベンスはヤンの父であるピーテル1世のことを尊敬していたため、2人はライバルというよりはよき共作者となって、ルーベンスの聖母子像にヤンが花輪を描き作品を制作して行きます。

 

2人は共作者というだけでなく、良い友人関係であり、家族付き合いをしていたようです。

ロンドンのコートルードギャラリーにはルーベンスが描いた「ヤン・ブリューゲル一族」という家族の肖像画があります。

ヤンと後妻のカタリーナと2人の子供が描かれているのですが、裕福な家族という印象を受けます。

着て衣装がとても豪華!

それもそのはず。

ヤンの花の絵は、一般に非常に高価で、兄ピーテルの農民画の数倍の値段がつけられたことを、当時の競売記録が物語っています。実際、ヤンはアントワープに6軒の家を所有するほどの有産家でした。

「ブリューゲルの世界」森洋子

 

2度の結婚で10人の子供を持ったヤンですが、疫病のため1625年に3人の子供も犠牲にして亡くなってしまいます。

でも画家になったヤン2世とアムブロシウスの息子たち、娘婿たちが、そしてその子孫が5世代にわたるブリューゲル一族を作っていくのです。

 

まとめ

長男ピーテル2世は父の後継者としての責任感と、ブリューゲル人気に応えるために画家として制作を続けてきたように感じます。

彼のコピーはブリューゲル作品の人気をさらに高めるだけでなく、ブリューゲルの研究の資料としてもとても役に立っているというから後継者として大成功ですよね。

 

次男のヤンは、ブリューゲル一族の作品に静物画という新しい作風を加えました。父の作品にも草花の繊細な表現があって、ヤンはそれを受け継いでいたのだろうかと思います。

そして枢機卿や大公から愛され画家として大成功、子孫が一族を繁栄させていったのだから父ピーテルも誇りに思っているでしょう。

 

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