兵庫県立美術館で開催中の「プラド美術館展ーベラスケスと絵画の栄光」の美術展レポートです。
歴代の国王による素晴らしいコレクションを持つスペイン、マドリードにあるプラド美術館。
今回の展覧会ではコレクションの中でも特に誇るディエゴ・ベラスケスの作品7点が、リベーラ、スルバラン、テイツイアーノ、ルーベンス、ロランなど61点の油彩画と9点の書籍資料と共に来日しています。
ベラスケスと17世紀絵画から、スペインの歴史や文化、芸術と宗教の関係、当時の芸術家の役割など知ると共に、なせこの時代がスペイン絵画の黄金期と言われているのかを探るそんな展覧会になっています。
ぜひとも見て欲しいポイントをあげています。
ベラスケスの作品7点が来日
プラド美術館は、ベラスケスの作品の国外持ち出しを最大7点までと決めているそうです。今回の展覧会ではその最大数7点が展示されています!!
ベラスケスは、1599年にスペイン南部のセビーリャで生まれ、24歳にはフェリペ4世の肖像画を描き「王の画家」となりました。フェリペ4世には「ベラスケス以外には肖像画を描かせない」とまで言われるほど国王から信頼されていました。
ベラスケスのすごさは、国王やその家族をただ美化して描くだけでなく、個性を見事に描き出しているところにあります。
そして、ルーベンスとの出会いや、イタリアで本場の芸術に触れてさらに芸術家として飛躍したベラスケスは、200年後の印象派のマネにも「画家のなかの画家」と言われるほど、のちの時代にも大きな影響を与えたのです。
今回来日した作品はこのような作品です。
*作品名→の横には作品の展示されている章を記載しています。
- 「ファン・マルティネス・モンタニェースの肖像」1635年ごろ→ 第1章芸術
セビーリャでとても重要な彫刻家であるモンタニェースの肖像画。制作中のフェリペ4世の頭部の粘土像と共に描かれています。 - 「メニッポス」1638年ごろ → 第2章知識
紀元前3世紀のギリシアの哲学者メニッポス。貧しい1人の老人のように描いた作品。 - 「マルス」1638年ごろ → 第3章神話
狩猟休憩塔のために制作された作品。古代ローマ神話の戦の神様マルスは、狩猟が戦いの疑似体験とも言えるのでふさわしいテーマでした。その彼がベッドに座り込み、武器も床に転がしてだらしない格好で描かれている。そこには様々な解釈があるようですが、戦から戻り疲れ切ったところに全てを脱ぎ捨てた姿。そしてそれは内外に問題が山積みで疲れ切ったフェリペ4世の姿であり、落ち目に向かっているスペインハプスブルグ家の姿であるという展覧会図録の解釈がとてもしっくりきました。 - 「狩猟服姿のフェリペ4世」1632−34年 → 第4章宮廷
ベラスケスが仕えたフェリペ4世の少しリラックスした狩猟姿を描いたもの。フェリペ4世は狩猟の腕前もなかなかだったようです。 - 「バリェーカスの少年」1635ー45年 → 第4章宮廷
バルタサール王太子の遊び相手だった矮人の少年の肖像画。当時の宮廷ではこの少年のように身体に障害のある人物は「慰みの人々」と呼ばれて、王族の日常を慰めるために仕えていました。ベラスケスは他の画家のように、彼の身体的ハンディキャップを強調するような描き方はせず、過酷な彼の現実を描きました。 - 「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」1635年ごろ → 第5章風景
フェリペ4世とフランス王アンリ4世の娘イサベルとの間に生まれた6歳の長男バルタサール王太子。後継という期待の大きさを感じさせる堂々とした姿で描かれています。背景の風景画も空気遠近法を使い、雪を残したグアダラマ山系の実写で描かれています。
*空気遠近法は、遠くに見えるものほど青みがかって見え、また輪郭が不明瞭になり霞んで見えるという大気の持つ性質を生かした描き方です。 - 「東方三博士の礼拝」1619年 → 第7章宗教
ベラスケス20歳の作品。新約聖書の物語の、ベツレヘムの馬小屋で生まれたイエス・キリストを礼拝するためにやって来た東方の博士たちを描いたもの。博士には師匠のパチェーコ、聖母マリアは妻のファナ、イエスは娘のフランシスカ、そして手前の博士はベラスケス自身ががモデルとなっています。
スペイン「黄金時代」の絵画
17世紀のスペインでは、国王たちによって芸術家の擁護、そして作品の収集がすごい規模でおこなわれていました。その結果、絵画の「黄金時代」を迎えることになりました。そんな黄金時代の画家たちの作品も多数展示されています。
エル・グレコ。ギリシア人出身ですが、フェリペ2世によってマドリード北西の街で進められていた、エル・エスコリアル修道院を飾る画家になりたいとスペインにやってきました。彼の作風はフェリペ2世には受け入れられず挫折しますが、その後トレドで独創的スタイルを追求しスペインでの人気画家になりました。
スルバランとムリューリョはセビーリャで活躍した画家です。スルバランは生涯を教会と修道院の仕事に捧げ、写実的で神秘性を持った作品が特徴です。キリストの磔刑図や聖人や修道士が祈りを捧げたり瞑想したりする姿を多く描きました。
ムリューリョはスルバランの作風とはかなり違います。初期はスルバランなどの厳粛な雰囲気の作品に影響を受けましたが、その後は柔らかく明るく色彩豊かな作風でセビーリャでもとても人気が高かったのです。
リベーラはスペイン出身ですが、若い頃にイタリアに渡り、生涯の大半をナポリで過ごしました。当時のナポリはスペインの支配下だったため、フェリペ4世によって彼の作品は70点以上王室コレクションとして収集されました。バロック期のカラヴァッジョの影響を受け、光と闇のドラマチックな作品を生み出しました。
美術を愛したフェリペ4世のコレクション
ベラスケスとともにこの展覧会のもう1人の主役は、ベラスケスを宮廷画家として取り立てて、彼の才能に惚れ込んだフェリペ4世です。そのフェリペ4世が集めた絵画の多数展示されています。
16世紀後半、スペインは「太陽の沈まない国」と呼ばれるような繁栄ぶりでした。しかし17世紀初頭にはその繁栄も陰りが見えてきました。
国内に産業がなく、戦争で浪費したことが原因だと言われています。
フェリペ4世は政治の面では国王として才能はありませんでしたが、芸術をとにかく愛した国王でした。約40年の在位の間に集めた絵画は3000点を超えると言われているので、彼の芸術に対する情熱がよくわかると思います。
宮廷においては美術品とは、国王の富、権力や品格を誇示するものでした。画家に国王としての偉大さや品格、知性といったものを兼ね備えている姿を描いてもらうことはとても大切だったのです。そうした絵画は宮廷を訪れた人々の目に触れるように広間に飾らていました。
また肖像画はお見合い写真のような役割もありました。嫁ぐ先の宮廷に送るのですから、美しく知的で魅力的に描いてもらう必要がありますよね。
フェリペ4世は、マドリードのアルカサル(王宮)に加えて、ブエン・レティーロ離宮とトーレ・デ・ラ・パラーダ(狩猟休憩塔)という二つの宮殿を作りました。そしてその内部をスペイン、イタリア、フランドルなどヨーロッパ各地から集めた絵画で飾ったのです。
宗教美術
カトリック教会が対抗宗教改革を推し進めた17世紀は、宗教美術の豊かな発展がありました。国王がカトリック教会を擁護していたことが改革運動が大きく進んでいったことに繋がりました。教会は信仰の道具として美術を最大限活用し、神の教えを正しく伝えるだけでなく、人々の心と感情に直接訴えかけることを求めました。そのために、宗教主題を現実的に解釈して描く写実的な絵画が作り出されたのです。
多くの人々に愛された聖母や聖家族の作品、また聖人の殉教や幻視といった場面も数多く描かれました。
スペインだけでなく、カトリック圏のイタリアやフランドルの作品も集められて地域の特徴もわかるように工夫されています。
ベラスケスにも大きな影響を与えたルーベンスの作品も登場します。
Information
「プラド美術館展ーベラスケスと絵画の栄光」
兵庫県立美術館
神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1 HAT神戸内
開催日時:2018年6月13日(水)〜10月14日(日)