マリー・アントワネットのお気に入り画家 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの自画像

「麦わら帽子をかぶった自画像」
Self-portrait in a Straw hat
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン (1755年ー1842年)
Elisabeth Louise Vigee Le Brun
1782年
ロンドン、ナショナルギャラリー所蔵


この絵はフランスの女性画家の自画像。マリーアントワネットの宮廷画家とも言われる、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランです。画家であるのは、パレットや筆を持っていることからわかりますよね。大きな羽と花で飾られた麦わらぼうしをかぶり、ピンクの衣装に黒の薄いショールをふんわりとかけて、大きく開いた白の襟飾りとてもファッショナブルな人であったことも想像できます。

エリザベートは、1755年に、パリに住むパステル画家の父と美容師の母の元に生まれました。12歳の時に父を無くし、画家としての後押しや経済的な支援などを失ってしまいます。母はその後再婚しますが、エリザベートは家族を支援するため10代で画家として働き始めます。

肖像画家としてすでに人気があった彼女にマリー・アントワネットは目をつけたはず。23歳の時、ヴェルサイユ宮殿に呼ばれ、フランス王妃マリー・アントワネットの肖像画を描きます。王妃は肖像画を大変気に入ります。

▼こちらがその肖像画。

「白いサテンのパニエ入りドレスのマリー・アントワネット」
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
1778年
ウィーン、美術史美術館所蔵

華やかで、気品に満ち溢れる王妃の姿。マリーアントワネットが気に入ったのも納得。

その後ヴィジェ=ルブランは宮廷画家として、王妃をはじめロイヤルファミリーの肖像画を次々を制作していきます。マリー・アントワネットに関しては20点以上の作品があり、画家とパトロンという関係を超えて、友人のような付き合いがありました。

そのことはフランス王立絵画彫刻アカデミーの会員になる際も有利に働きました。通常は女性であるということだけでも会員になるのは大変です。さらにその壁を乗り越えるのに必要なのは、画商の関係者であるということも大切だったようです。
彼女はその両方を持ってました。1776年に結婚したご主人が画商だったのです。

さて、自画像に話を戻します。ヴィジェ=ルブランは、ベルギーのアントワープでみたルーベンスのこちらの肖像画から、アイデアを受けて自画像を描いたと言われています。


「シュザンヌ・フールマン(?)の肖像画」
ピーテル・パウル・ルーベンス
1622年ー25年
ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵



青空と雲の背景。胸元に明るい光をあてて肌の美しさを強調。帽子の影の下で上気した頬が上品さを与えているどちらも女性の美しさを描ききっています。

ヴィジェ=ルブランは、1789年に起こったフランス革命で、自分の身も危険であると察し、農婦の姿で小さな自分の娘を連れてのパリを脱出しました。12年の間ヨーロッパを転々として、各国の王家や貴族の肖像画家として生計を立てていたのです。そしてかつて描いたマリーアントワネットの死亡を遠くの地で知る。彼女の宮廷画家だったことがその後の肖像画画家としてのキャリアに役になったのか、それとも妨げになることもあったのか・・・

パリに残った画商のご主人からは仕送りがないどころか、借金のお願いをされるという苦しい中でも、自分の才能で肖像画家として成功した人です。

ヴィジェ=ルブランの生涯について「マリー・アントワネットの宮廷画家」という本を書かれた石井美樹子さんは、本の中でこんな気になることを書かれていました。

ヴィジェ=ルブランが86年の生涯で制作した肖像画は模写を含め六六〇点以上、風景画は二〇〇点ほど。
その多くがいまだにどこかの美術館や貴族の館の倉庫に眠っている。長い眠りからさめるのを心待ちにするのはわたしだけだろうか。

「マリー・アントワネットの宮廷画家」石井美樹子著

まだまだ公にでていない作品が多いのでしょうか。
マリー・アントワネットの肖像画から、どんどんと広がっていった彼女の肖像画。その後の生活や交流関係と合わせながら肖像画を見つめていきたい。そんな宮廷画家です。





-絵画の背後にある物語