クロード・モネ 絵画の背後にある物語

ジヴェルニーの庭を描き続けたモネ「睡蓮の池」

タイトル:「睡蓮の池」
画家:クロード・モネ
制作年:1899年
ナショナル・ギャラリー(ロンドン)所蔵

クロード・モネが15歳のころ、画家のウジェーヌ・ブーダンと出会い、戸外で描くことの大切さを教えられたというのは有名なエピソードです。
それからモネは外光の効果や陽の光にちりばめられる青白い木漏れ日の影を描くため外で描くことにこだわりました。

当時はかなり珍しい、描くものを目の前にして描き続けたモネ。
あるとき「あなたのアトリエはどこですか?」と尋ねられて、周りの野原を指差し「ここですよ」と答えたと言われています。

アトリエ船とよばれるボートに乗って描くモネの姿も、画家マネによって描かれていますよね。

そんなモネにとっての晩年のアトリエとなったのが、ジヴェルニーの自宅の庭です。
ここはアトリエでもあり、庭そのものがモネの作品でもあります。

43歳のころ、パリから北西70KMの美しい街ジヴェルニーに移り住み、7年後には借りていた家を購入し池を作り睡蓮を育て始めます。
そのころには8人の庭師を雇って庭を整備していたそうですよ。
隣接する睡蓮が咲く小さな池がある土地を購入し、もっと大きな睡蓮の池にしたいと思います。
そのために、行政に許可を求め、近隣住民に反対されることも乗り越え、池を大きくします。

池の西端に和風の橋を架けたのは、モネが持っていた浮世絵の歌川広重の「亀戸天神の藤」 からヒントを得たものだと言われています。
そして、池の周りに柳、竹、桜、藤、牡丹、アイリスなどを植えて理想の風景にしていきます。

モネがこの水庭を描いたのは全部で250点。とくに約200点は睡蓮を描いているそうです。

1899年に、モネの2番めの奥さんアリスの娘シュザンヌが長い闘病生活の末亡くなります。
悲しみにくれるアリスに寄り添いながら、この庭をモネも描き続けます。
1899年から1900年の間に、18作品の橋の風景を描きました。
この絵もその1枚ですね。

水面を見下ろしている目線。
ユリの花がかなり奥の方まで浮かんでいるのが見えます。
橋の左奥には枝垂れ柳が見えていて、アヤメの群生もあります。

自分が見たものの印象を伝えるために、移ろい変化していく印象を残すために、「睡蓮」を描き続けたモネでした。



-クロード・モネ, 絵画の背後にある物語