京都国立近代美術館で開催中の「藤田嗣治展」に行ってきました。
2018年は藤田嗣治の没後50年にあたる年。
過去最大の大回顧展として、東京都美術館で大盛況ののち京都にやってきました。
乳白色の独自の技法を確立、おかっぱ頭にに丸メガネにちょび髭という独特のスタイルで多くの人に知られている画家。
しかし、この展覧会は藤田の画家としての全貌がわかるスケールの大きな展覧会です。
今までのイメージが変わるような作品も登場しますし、作品と共に生き様や苦悩も伝わってくるものでした。
藤田嗣治のファンの方はもちろん、藤田と言えば乳白色というイメージをお持ちの方、藤田の描く猫が好きな方にぜひ見てもらいたい。
そしてもちろん藤田のことはよく知らないけど、展覧会のポスターの女性に惹かれたという方も!!
混雑を避けたいのでいつもの通り夜間の展示をねらい、土曜日の18時ごろから見てきました。
企画展だけで時間が終わってしまい、常設展をかけ足でみることが多いので、少しだけ早めに行き常設展から見ようと入り口へ。
しかし今回は藤田嗣治展から常設展に人が流れるような配置になっているので、企画展チケットでは常設展から入場はできませんと言われ、ちょっと係の方とお話をしてからの入場となりました。
(もめたとかそんなことではありませんので・・・)
常設展を楽しんだあと、3階の藤田嗣治展入り口からきちんと入りました。
京都展では京都国立近代美術館のコレクションの藤田作品が12点も出ています。
パリで藤田が影響を受けたピカソやモディリアーニの作品も。
こちらもおすすめですのでぜひみてくださいね。
では展覧会レポートです。
大回顧展と言われるみどころ
質・量ともに過去最大級の展示内容
今回の展覧会は100点以上の作品が集まっています。
でもそれがなぜ過去最大級なのでしょうか?
藤田の最後を看取った君代夫人は、藤田作品の著作権について厳しく管理されている方だったようです。
1980年代半ば過ぎまでは展覧会や出版がやりにくい作家であったのですが、徐々に環境が整い2000年以降は広がりが出てきました。
2009年に君代夫人が亡くなり、夫人が手元に置いておられた作品、蔵書、日記や写真が美術館や大学へ収蔵され、藤田の調査が進んだことも今回の展覧会につながっているのです。
藤田は1938年に軍部の要請に従って、従軍画家として一ヶ月ほど中国での戦線取材をおこない最初の戦争画を描きます。
その後も戦争画の制作を行うのですが、敗戦後戦争協力者として美術界から批判を受け、そこからさまざまな誹謗中傷にさらされることになります。
日本を離れふたたびフランスへ行き日本に帰ることはありませんでした。
藤田の苦悩を側で見ていた君代夫人が、戦後の日本への不信感から著作権に対してかたくなになるのにはそのような理由があったのだということを知りました。
その戦争画も出展されています。
画家の業績の全貌がみられる
日本をはじめ、フランスやその他の欧米の美術館から集められた作品の数々。
上記にも書きましたが、藤田作品の研究や調査が進んだことも大きく、これまで日本に来たことがなかった作品や、紹介されてこなかった作品も展示されます。
代名詞の乳白色の裸婦像が10点以上
藤田と言えば乳白色の裸婦像を思い浮かべる方が多いですよね。
パリに渡り確立した乳白色の技法で裸婦を描く。それが藤田のスタイルの一つとなります。
美しすぎるすべすべした質感と光沢のある乳白色の肌。
堪能できることまちがいなしです。
自家像もたくさん
一度見たら忘れられないおかっぱ頭、丸メガネ、チョビ髭スタイル。
自画像や自身が描かれている作品のたくさん見ることができます。
異国であるパリで日本人であることを意識しての個性的なスタイル。
自分のイメージを作り上げて成功していく姿勢に自己プロデュース力を見ました。
さらに、パリに渡る前のクールでおしゃれな自家像、戦争時の丸刈りの自家像も見ることができます
猫、猫、猫
こちらも藤田と言えばでしょうか。
猫がたくさん登場します。
何作登場しているのか数えれば良かった・・・
つい微笑んで見てしまいました。
女性がたくさん
生涯で5回の結婚をした藤田。
それぞれの時期にモデルとして夫人が登場します。
とみ、フェルナンド、ユキ、マドレーヌ、君代。
とみさんかもしれないという婦人像もあったので、5人すべて登場しているのかも。
まるでピカソみたいーと思ってしまいました。
女性の存在は画家としてインスピレーションの源になるんでしょうね。
展覧会の流れ
I 原風景―家族と風景
陸軍軍医の父の息子として生れ、軍人になってほしいという父の願いもあったが、画家になることを目指し東京美術学校で学びます。
おかっぱ頭になる前の藤田の自家像もあります。
東京美術学校時代の作品は、黒田清輝みたい・・・という夫人像も。
II はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで
1913年に初めてパリへ、世界中から芸術家があつまるモンパルナスに暮らしはじめます。
キュビズム、アンリ・ルソー、モディリアーニらから影響をうけた作品が。
中世の宗教画の金箔を背景にした作品も見ることができます。
徐々に独自のスタイルが確立していきます。
III 1920年代の自画像と肖像―「時代」をまとうひとの姿
乳白色の人気が高まり、女性の肖像画の注文が多くなった時代。
ジャポニズムの影響で浮世絵のように描かれることを望む女性が多かったからだそうです。
女性の服やインテリアに使われている美しい布がとても印象的でした。
「座る女」という作品がキスリングの画風とリンクして見え、モデルの下にあるクッションでしょうか?椅子の布?
美しい模様が気になりました。
IV 「乳白色の裸婦」の時代
裸婦像がたくさん。美しい。
作品の研究が進み乳白色の技法が明らかになって、タルクという物質を下地の表面に使用して光沢のある上品な下地ができるのだそうだ。
タルクというのはベビーパウダーの主な成分らしい。
そこに日本画で使われる面相筆で墨の輪郭線を描くとあの美しさが生みされる。
IIIのセクションの自画像でも、硯と墨、そして面相筆をもっている姿が描かれていますよ。
V 1930年代・旅する画家―北米・中南米・アジア
このセクションでは、こんな作品も描いていたのかーと驚きながら見ていました。
第一次世界大戦が近づき、藤田はパリを離れて中南米、北米、日本や中国などを旅します。
それまでの上品な穏やかな作品から、躍動感のあるカラフルな作品へと変化していきます。
日本でも東北や沖縄など、古い日本の風景が残っている地域の暮らしを描いています。
VI-1 「歴史」に直面する―二度目の「大戦」との遭遇
VI−2 「歴史」に直面するー戦争記録画へ
1938年10月に中国に派遣され、戦場の様子を描くことになり、それから戦争画の時代になっていきます。
終戦までの間制作した中の作品を見ることができます。
VII 戦後の20年ー東京・ニューヨーク・パリ
終戦後画家としての戦争責任問題に直面。
日本を離れフランスへ戻ることを決め、1年間のニューヨーク生活後、パリへ渡ります。
今回の展覧会のメイン作品になっている「カフェ」はニューヨーク滞在のときの作品。
パリへの思いを馳せた作品。頬杖をついて憂いのある表情の女性に藤田の心が描き出されているような気がしました。
子どもが描かれる作品や、絵付けをいたワイングラスやお皿などもありました。
こんなものも作っていたのーという可愛らしさたっぷりの作品。
VIII カトリックへの道行き
1955年に君代夫人とともにフランス国籍を取得、59年にはカトリックに改宗し、レオナルド・ダ・ヴィンチにあやかって洗礼名をレオナールとします。
洗礼をうけたランスの大聖堂に収められた「聖母子」や、夫人とともに修道士の姿で聖母マリアに礼拝をする「礼拝」など宗教画を見ることができます。
まとめ
知らなかった藤田嗣治の作品をたくさん見ることができて、さらに興味がわきました。
展覧会を見られてそんな感想を持たれた方も多いのではないかなと思います。
パリという異国の血だからこそ生れた独特の乳白色の下地と黒い輪郭線の技法。
日本に帰ってきてから外国人の視点で日本をみて描かれた数々。
巻き込まれた戦争で制作することになった戦争画。
戦争で傷ついた心を癒やすようにパリに戻りカトリックに改宗。その中でのパリの愛を感じる作品や宗教画。
作品と共に藤田嗣治の人生のドラマを見ている、そんな見応えのある展覧会でした。
INFORMATION
- 展覧会名:没後50年 藤田嗣治展
- 美術館:京都国立近代美術館
- 会期:2018年10月19日(金)から12月16日(日)
- 開館時間:午前9時30分~午後5時 (金、土曜日は午後8時まで) ※入館は閉館の30分前まで
- 休館日:月曜日
- 展覧会公式HP : http://foujita2018.jp/