こんにちは。
ブログやSNSで使う画像を自分で作っていて、どこかでみたことあるような代わり映えがしないものが多いなぁと感じたことないですか?
今はおしゃれなテンプレートやお手本があって、技術的な知識がなくても素敵なデザインを簡単に作ることができる。
でもどうしても、似たようなものが量産されてしまいます。
自分なりに手を加えるけれどそれにも限界がある。
今回は、ピカソの名言をご紹介します。
そこから芸術家がなぜ多くの人を感動させたり、記憶に残る作品を作ることができるのか見ていきたいと思っています。
「人が彼に期待するものを画家は決して描いてはいけない」by パブロ・ピカソ
これは、オリジナルの作品を次々作り出していった、世界で知らない人がいないというくらい有名なピカソの言葉です。
人が自分に期待するような作品を作っているのは画家ではない!!
作品制作を実験のように捉えて、新しいことにどんどん挑戦していった。
一生のうちに頻繁に作品のスタイルが変わっています。
しかもそのスタイルは当時の人、芸術家仲間までもあっと驚くこと。
常に革新、革新の連続です。
それがピカソというアーティストです。
天才と言われた子供時代
ピカソの父は美術工芸学校の先生でもあり画家でもあった人。
父から英才教育を受けたのですが、ある時もう教えることはないと父は自ら筆をおいたという有名なエピソードがあります。
ある日父親に言われて鳩の足に仕上げをしていたピカソ。
まるで生きているような作品の出来栄えに、「父は自分の絵の具と絵筆を私に与え、それ以後二度と絵を描かなかった」と13歳のときの記憶を語っています。
子供のころから天才と言われてきた人のすごさを感じるエピソードですよね。
▼こちらは15歳のころ、母を描いた絵です。(ピカソ美術館へ飛びます)
https://cataleg.museupicasso.bcn.cat/fitxa/museu_picasso/H287880/?lang=en&resultsetnav=5fc0f3f48c051
子供のころは写実的(ありのままをに描くこと)な絵を描いていたのですが、時代と共にその写実さをどんどんと削った作品を作っていきます。
それがピカソのすごさでもある。
その後、青の時代からキュビズム時代、古典的な作品を描いたり、ゲルニカのような歴史的事件を巨大なキャンパスに描いたりする。
ピカソの作品は著作権の都合上画像が自由に使えません。
そのため美術館のサイトのリンクとなってしまいますが、少しだけ時代で並べてみました。
青の時代と桃色の時代の作品
ピカソが20歳〜25歳くらいの、”青の時代”と”桃色の時代”と言われている時期の作品です。
▼「グルメ」1901年
https://www.nga.gov/collection/art-object-page.46527.html
▼「サルタンバンクの家族」1905年
https://www.nga.gov/collection/art-object-page.46665.html
次々と変化していく作品
キュビズム時代、古典的な作風の時代、ゲルニカを見てみましょう。
作品のスタイルが全く違って、同じ人の作品なの?と感じてしまいませんか?
26歳から36歳ごろのキュビズム時代の作品。
▼「アヴィニョンの娘たち」1907年
https://www.moma.org/collection/works/79766
37歳から55歳ごろの古典的な作風の作品。
▼「恋人たち」1923年
https://www.nga.gov/collection/art-object-page.46667.html
56歳から65歳ごろ、自国スペインを襲った戦争を巨大なキャンバスに描いた作品。
▼「ゲルニカ」1937年のタペストリー
https://en.wikipedia.org/wiki/Guernica_(Picasso)#/media/File:Mural_del_Gernika.jpg
さらに、ここにあげたような絵画の変化もすごいですが、デッサンを大切に考えていたピカソのデッサンはこれがデッサンなのか?と完成度がとても高いです。
版画作品もたくさん作ってます。
さらに、色々なものを張り合わせてつくるコラージュ作品や陶芸もやっていました。
ポスターも制作している。
そして、晩年の作品はもっともっと子供が描くような絵にもなってくる。
一見、私にもこれ描けるんじゃない?俺のほうが上手くかけるよ!と多くの人を思わせるところも想定内なのか?という作品もたくさんあります。
まとめ
この人の新しいものをどんどん生み出していく情熱はどこから来るのだろう!!
そのことを考えます。
ピカソは子供のころ、学校の先生が黒板に字を描くその行為にとても関心があったそうです。
面白いですよね。
数学の問題はそっちのけで、先生が黒板に書く字の形を写し取ろうとしていたというエピソードがあります。
物を書く、描くということに対する異常な関心。
絵を描くことが自分を適確に表現できると気がついた。
だから自分を表現するために貪欲に新しい表現方法を探したのが、膨大な数の作品数や、画風が変化することにつながったのではないだろうかと私は感じています。