アサヒビール大山崎山荘美術館で開催している「ウィリアム・モリスーデザインの軌跡」の展覧会レポートです。
ウィリアム・モリスは、19世紀のイギリスで芸術家、詩人、思想家、社会運動家など様々な活躍をした人物です。
この展覧会はその中でも、今も多くのファンをもつモリスのデザインや創作の心を壁紙、テキスタイル、椅子、出版物で紹介するものです。
そして彼と関わりのあった同時代のデザイナーの作品も合わせて展示されています。
役に立たないものや、美しいと思わないものを、家に置いてはならない。
ウィリアム・モリス「生活の美」1880年
この言葉がモリスの活動の全てに繋がっています。
大山崎山荘美術館の建物の雰囲気にぴったりとあっているこの企画展。
通常の美術館の展示室で見るよりもさらにモリスの心が伝わるのではないでしょうか。
このような内容で書いていきます。
・ウィリアム・モリスのデザインの原点
・展覧会の構成
・大山崎山荘美術館とウィリアム・モリスの結びつき
ウィリアム・モリスのデザインの原点
ウィリアム・モリス(William Morris, 1834-1896)は、産業革命によって伝統的な手工芸がなくなって、安いが粗悪な商品が世の中にあふれていくことに嘆いていました。
そのため中世の世界のように職人が誇りと喜びを持って物作りをしていた時代を理想として、質の高い装飾品の製造を目指したのです。
モリスが起こした「アーツ・アンド・クラフツ運動」はそんな理想の時代の復興をはかり、生活の芸術家という構想のもと発展していきます。
モリスの父親は、ロンドンのシティと呼ばれる金融街で株式仲介人として働いていました。
モリスが6歳のころ、家族は大邸宅ウッドフォード・ホールという館に移り住みます。
そこで植物大全をみて植物に大きな関心を持ち、壮大なウッドフォード・ホールの庭や農園で、近くに広がるエピングの森で、動植物に対して深い思いを持っていくことになります。
父の死後はパブリックスクールで学び、手芸や詩を作ることや図書館通いが授業よりも大切なことになっていきます。
19歳でオックスフォード大学に入学し、中世の雰囲気が残るマートン・カレッジやその礼拝堂から学び、中世の彩飾手稿本を目にしたのもこの時代。
生涯の友人となった画家エドワード・バーン・ジョーンズともこの頃に巡り会います。
若いモリスが出会い学んだこれらのことが、活動のために活かされていきます。
展覧会の構成
展覧会は3つの展示室に分けて紹介されています。
第1展示室
大山崎山荘の食堂だった場所で、当時のまま残る照明やソファーのある部屋が展示室1です。
ウィリアム・モリスは1861年にバーン・ジョーンズ、ロセッティ、ウェッブ、フォード・マドックス・ブラウン、フォークナー、アーサー・ヒューズ、P・P・マーシャルと7名で、「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立します。
当時のイギリスの衰退してしまった諸工芸を改革するという信念を持っての設立でした。
会社設立のよく年のロンドン万博に出展し注目を集め、ステンドグラスや家具の注文が増えました。
この展示室には、モリスたちが作った初期の家具、サセックス・チェアが展示されていました。
さらに色あざやかで美しい陶芸家ウィリアム・ド・モーガンの装飾タイルも展示。
モリス紹介が扱った陶器のほとんどはこのモーガンの工房で作られたものだそうです。
第2展示室
食堂のテラスの前の池を見ながら大きなガラス窓と天井の通路を通って第2展示室へ。
ここでは壁紙と内装用ファブリック、刺繍の壁掛けの展示でした。
チューリップ、バラ、マリーゴールド、なでしこ、やぐるまぎく、すいかずらの花々。
ぶどう、りんご、いちごやオレンジのフルーツ。
小鳥、りす、うさぎや孔雀の動物。
デザインのモチーフをあげていくだけでもものすごい数。それがこんなに美しい柄になっていく。
モリスの美意識の高さに感動するばかりでした。
壁紙は木版と天然染料が使われ、植物を立体的に見せるため多くの色を使っています。
当時の合成染料では出せない色を可能にしたインディゴの深い青色。
そのインディゴを使ったインディゴ染め抜き技法を使った「兄弟うさぎ」という作品は美しく可愛らしかったです。
インディゴに染めた布に、抜き染め材を混ぜたノリを使って部分的に色を抜いていく作業に悪戦苦闘したとの説明がありました。
そしてモリスの有名なデザイン「いちご泥棒」はそのインディゴ染め抜き技法に赤や黄を重ねる多色使いの最初の作品。個別に色を染め、刷って、抜くという手間と複雑な作業を数日間かけて作られる作品。
「いちご泥棒」
第3展示室
本館に戻って居間として使われていた部屋が第3展示室です。
ここでは美しい書物を作るという長年の夢を実現させた作品が展示してあります。
印刷の専門家でタイポグラファーのエマリー・ウォーカーの講演をきき刺激を受けたモリスは、1891年にケルムスコットプレスを設立しました。
「すべての本は美しくあるべき」として、美しい活字・美しい用紙・美しい装幀にこだわりました。
力強さとデザインの美しさが合わさったモリスの飾り文字。
壁紙でも表現されていた植物が美しく刷られたページ。
とても豪華で手の込んだ書物。
すべての材料にこだわり、挿絵や装飾のデザイナー、彫版師や刷り師の調和によってできた書物からモリスの理想が伝わってきました。
これはケルムスコットプレスの活字サンプル。
展示品ではありませんがこんなページからなる書物が作られていました。
大山崎山荘美術館とウィリアム・モリス
ウィリアム・モリスの作品を、大山崎山荘美術館で見るというのがとてもぴったりだと最初にも書いたのですが、どうしてなのかその理由を書きますね。
美術館本館の建物は、関西の実業家である加賀正太郎氏の別荘でした。
イギリスで印象に残った風景とこの山崎の土地が重なり、英国山荘風の建物を加賀氏自らが設計して作りました。
太い無垢の木の柱や梁、高価で貴重な龍山石を使った壁、職人の技を感じられる階段やステンドグラスなどなど、とにかくこだわりにこだわりを重ねて、丁寧に作らえた物を使いできている建物です。
加賀氏が亡くなったあと、一時は廃墟化し取り壊しの危機にもあいますが、加賀氏と交流のあったアサヒビールの初代社長山本為三郎氏が、京都府の要請を受けて美術館に蘇らせました。
山本氏は日本の民藝運動の大パトロン。
そんな日本の民藝運動を起こしたのは柳宗悦。
柳の活動はウィリアム・モリスのアーツアンドクラフト運動からの影響を大きく受けて始まったのです。
美術館展示室や喫茶室の一部は復刻品のウィリアムモリスのカーテンが使われています。
展示品だけでなく、ぜひその辺りも見てくださいね!
さらにさらに、今回の展覧会のために展示室の壁紙にもその復刻版が使われていて、建物全体がモリスの世界でいっぱいになっているのです。
ウィリアムモリス −デザインの軌跡
2018/4/21 - 7/16
アサヒビール 大山崎山荘美術館
住所:京都府乙訓郡大山崎町銭原5−3
TEL:075-957-3123
HP:http://www.asahibeer-oyamazaki.com
こちらはウィリアム・モリスのオリジナル壁紙が残っている、イギリスの貴族のお屋敷の訪問記。
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