三菱一号館美術館で開催中の「ラファエル前派の軌跡展」。
展覧会タイトルのとおりラファエル前派の作品が中心ですが、軸にあるのは今年生誕200年のジョン・ラスキンです。
ジョン・ラスキンはヴィクトリア時代の有名な美術評論家。
彼の著作を読み、その思想に大きな影響を受けたラファエル前派にとってラスキンは指導者的存在でした。
ラスキンの考える芸術の源から始まって、それがラファエル前派兄弟団をはじめとした芸術家たちにどんな影響を与えて、彼らが歩んでいったのか。
ラファエル前派の美しい作品を見ながらヴィクトリア時代の世界に浸れる展覧会でした。
展覧会の始まりはラスキンとターナーから始まりラファエル前派、ラファエル前派周縁へ。
ラスキンが生涯評価していたのは、J・M・Wターナー。
ターナーの鋭い自然観察から生まれた風景画に刺激を受けて、ラスキンも絵を描いています。
神の作った自然を画家は丁寧に観察して表現しなくてはならないと考えていました。
ターナ−の絵画、ラスキンの描いた自然の姿、教会、名画のスケッチなどが並びます。
ターナーとラファエル前派は作風、テーマやスタイルなど全く違いますよね。
でも問題なのはそこじゃなかった。
ラスキンにとって理想的な芸術とは、真実をできるだけ多く的確に表現すること。
そして見る人の想像力をかきたてるものであることだった。
ターナーの風景画は、水の重さ、空気感、空の色、太陽の光で移り変わる大気の色など誇張することなく描かれています。
それは当時の美術界の権力を握っていたロイヤル・アカデミーの教育とは大きくかけ離れているもので、ターナーは批判を受けます。
ラファエル前派も自然だけでなく人物も深く観察し緻密に描き、人間の美しさを表現した。
そして聖書の世界だけではなく、テーマを文学や神話からもとり人々の想像力を高めようとした。
しかし、当時の美術界の絶大な権力を握っていたのはロイヤル・アカデミー(王立美術院)であって、その教育方法はルネサンスやバロック美術の様式を厳格に守り、理想的な絵画を作ること。
ターナーも、ロセッティ、ミレイ、ハントなどラファエル前派もロイヤル・アカデミーの生徒だったけど、それに従うことができなかった。
自分たちの理想とする表現はもっと別のところにあり、アカデミーの教えを守っていたら個性が潰されるのがわかっているから。
でもやはりその権力に歯向かうと批判の嵐が襲いかかる。
そこを擁護したのがジョン・ラスキンでした。
ラスキン自身も著書「近代画家論」でルネサンス以降の絵画があまりにも型にはまり、自然を偽ることになっていると述べています。
またイギリスの美術の行く先を心配していたのでしょう。
ラファエル前派が激しい批判を受けているときに
”経験を積むことで英国が過去300年なしえなかった高貴な流派の基礎が築かれてほしい”と若いラファエル前派のメンバーたちの後押しもします。
バーン=ジョーンズ
ウィリアム・モリス
へと展覧会は続いていきます。
バーン=ジョーンズ、モリスの2人もラスキンの本を読み、ラファエル前派の作品をみて、オックスフォード大学で聖職者をめざす学生から芸術家を目指すという転向をします。
バーンジョーンズはラスキンにとても可愛がられていたので、イタリアに行き芸術を学ぶことを強く進められます。
それが結果バーンジョーンズの作品に広がりを与え、国際的にも評価を受ける芸術家へとなります。
モリスの情熱はインテリアや書籍といった装飾芸術へと向き、職人の丁寧な手工業に携わることになる。
展示されているモリスの会社が作った、美しい壁紙、家具、活字やインキや紙の一つ一つにもこだわって作った書籍までも。
バーンジョーンズはその後の象徴主義や唯美主義とも大きく関わることになり、モリスの活動はアーツ・アンド・クラフツへとつながっていく。
ジョン・ラスキンが果たした役割はとても大きいのだ。