「西洋美術の歴史を旅しよう!西洋美術史入門講座」  2日目:中世キリスト教美術

1日目の古代ギリシア・ローマの美術はいかがでしたか?

2日目は中世のキリスト教美術です。

旅行で海外の美術館へ行かれた方や、日本でも開催される西洋美術の展覧会で、宗教画が多いなと感じられたことありませんか?

私も美術史を勉強をすればするほど、ヨーロッパでのキリスト教の重要さ、人々に根付いている思想と、その持っているパワーに圧倒され続けました。

なぜこんなにもキリスト教の美術品が多く作られているのでしょうか?

難しそう・・・
あまり好きじゃない・・・

そんな方にも、キリスト教美術の歴史を知って、もっと見てみたいと思っていただけると良いなという気持ちで書いています。

では、さっそく時代背景からみていきましょう!

どんな時代だったのか?

392年にローマ帝国の国教となったキリスト教。

キリスト教以外の宗教が今度は異教となり排除されていき、同時にギリシア、ローマの神々の芸術も影に隠れてしまいます。

一気にキリスト教が浸透したわけではありませんが、こののちヨーロッパはキリスト教社会となっていきます。

ここから15世紀初頭イタリアで起るルネサンス芸術までの間の芸術が中世と位置づけられています。


少しさかのぼりキリスト教の始まりをみてみましょう。

キリスト教は元々ユダヤ教徒のイエスによって始まった、ユダヤ教から発生した宗教です。

ユダヤ教徒との違いは救世主(キリスト)がイエスであるということです。

ユダヤ教徒の聖典が旧約聖書と共有されていたので、旧約聖書では神の顔を見ることは禁じられています。

神がモーセ(古代イスラエルの民族指導者)に言った「いかなる像も作ってはいけない」という教えを守り続けるユダヤ教やイスラム教では、神の姿を図像や彫刻であらわす伝統はありません。

イエスの教えを伝える布教活動は、イエスの死後ローマ帝国各地にどんどんと広がっていきます。

その拡大に恐れたローマ帝国はキリスト教徒を迫害し始めます。

このころのキリスト教徒たちは、カタコンベと呼ばれる地下の共同墓地や石棺などに美術を残しています。

例えば、イエス・キリストを意味する魚のマークやアルファベットを仲間内で使っていました。

そして392年、キリスト教が国教となると、広大なローマ帝国中にキリスト教の教えを伝える必要が出てきました。

言葉や習慣も違う人がいる、読み書きができない人がいる。

そのような人達にわかりやすく伝えるためには 文字ではなく目で見て理解できる図像が必要となりました。

聖書の世界を文章だけではなく、絵画、彫刻、ステンドグラスなど色々な形で表現していきました。

それがキリスト教社会で宗教美術が発展して言った大きな要因です。


しかし、偶像崇拝を禁じた旧約聖書のモーセの十戒をめぐって偶像肯定と否定とでは議論が絶えず、8世紀ごろになると聖像破壊運動が起る事態にもなっていきます。

最終的にはキリストや聖人の姿は絵画ではなく、神の似姿「イコン」であると決着します。
そして現実の人間を超える存在のため、私たちのような肉体や立体的な表現では表しません。
さらに貴重な金を使って特別な世界が表現されました。


古代ローマ帝国は395年に東西に分割して統治されることになりました。

東はコンスタンティノポリス(今のイスタンブール)を首都として、1453年にオスマン・トルコに滅ぼされるまで、現在のトルコ、ギリシア、東欧、南イタリアを治めました。

西はローマを首都として、5世紀に皇帝の治める政権が崩壊しました。
続いてフランク王国が現在のフランス、ドイツ、北イタリア周辺を支配しました。
そしてカール大帝は800年にローマ教皇から皇帝に任命され、ローマ・カトリック帝国が復活。
しかしその後も分裂し混乱の時代へと。

東ローマ帝国(ビザンティン帝国)、西ローマ帝国と呼ばれるため、2つの国があるのか?と混乱してしまいがちですが、分裂したわけではなく統治が分けられ、美術もそれぞれが独自に発展していきます。

中世美術は大きく3つに分かれているので1つづつ見ていくことにしましょう。

【1】ビザンティン


ビザンティン美術は、4世紀末から15世紀半ばまで東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の美術です。
東ローマ帝国の首都のコンスタンティノープルの旧名がビザンティオンという町であったためビザンティン帝国とも呼ばれています。

東ローマ帝国の国教のギリシア正教は8世紀と9世紀に2度聖像禁止令を出したこともあり、古代の躍動感ある肉体表現とは違い、平面的な表現。また東方(中近東やアジアのこと)の影響が大きく、神秘的な表現が特徴です。


<特徴>
・古代ギリシア・ローマの技術を受け継ぎ、金も多様したモザイク壁画
・礼拝用の板絵 イコン


▼旧約聖書のシーン 
547年 
ラヴェンナ・サン・ヴィターレ聖堂(イタリア)

Sacrifice of Isaac mosaic - Basilica San Vitale (Ravenna),
Petar Milošević, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons



聖堂内部がこのようなモザイク壁画でびっしりです。当時はろうそくの灯りに照らされ金が煌めいてそれは神々しい空間だったと思われます。

中央はアブラハムが天使をもてなしている場面。

3人の天使がテーブルを前にして座っているのが見えますか?

右には神に試されたアブラハムが、自分の息子を手にかけようとしている場面が表されています。


【2】ロマネスク


11世紀から13世紀に起こった美術はロマネスクと呼ばれています。

ロマネスクとは、ローマ風という意味です。

5世紀末に西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人のフランク王国のカール大帝は、800年にローマ教皇から皇帝に任命されます。
これは後の神聖ローマ帝国に繋がります。

1096年から聖地エルサレムをイスラム勢力から奪還するべく、約200年にわたって十字軍を派兵します。
この十字軍時代がロマネスク期とほぼ重なります。

十字軍遠征によって多くの聖遺物(キリストや聖母、聖人の遺骸やゆかりの品)がヨーロッパへ運ばれ、それを治める聖堂建築が盛んになりました。また聖堂への巡礼の旅がブームになるのです。


<特徴>
・ビザンティンの影響の宗教画が描かれました。フレスコという壁の漆喰が乾く前に着色する技術が主流でした。
・聖書や祈祷書など飾り文字で描く彩飾写本も発展しました。
・教会や修道院は木造から石造りとなり、天井を支えるため分厚い壁に小さい窓、半円のアーチが特徴です。
・徐々に彫刻も制作されますが、表現方法には素朴さがあります。


▼シュパイアー大聖堂(ドイツ)
小さい窓に、ロマネスクの特徴である半円アーチを見ることができます。

Speyer Dom pano, Lokilech, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

▼オータン大聖堂(フランス)
聖堂内部の柱の上部の彫刻。これはイエスを裏切ったユダが後悔の念にかられて首を釣った場面です。
素朴さがあり、そしてちょっとおどろおどろしい雰囲気もあります。

Judas. Capital from Autun cathedral. Sculptor: Gislebertus, Cancre, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons


【3】ゴシック

ゴシックという言葉の由来は、のちのイタリア人が軽蔑の意味を込めて言った「野蛮人(ゴート族の様式)」からと言われています。

その語源はともかくとして、ヨーロッパの特に建築ではとても重要な様式です。

この時代には徐々にヨーロッパは政治や経済、文化の基盤が整ってきました。

巡礼の旅の発展によって、巡礼の道には礼拝堂や宿泊所を持つ多くの修道院ができました。
そこが交通の要所となり、都市として形造られていきます。
また諸国の王たちが体制を強化していくことでも都市が発展していきます。都市として発展すれば人口が集中。
多くの人を収容できる、大きくて高くそびえる大聖堂が作られます。


14世紀半ばには、英仏百年戦争やペストの大流行で、人口の移動や減少がおこりました。

建築以外では彫刻や写本、板絵、タペストリーなどの小さな作品にも人々の関心も集まるようになったり、芸術家や建築家の功績も認められるようになっていきます。


<特徴>
・飛び梁
・大きな窓にステンドグラス
・尖頭アーチが特徴(ロマネスクは半円アーチなのでそこが違いを見極める1つのポイントです)
・建物全体に聖人や怪物などの彫刻で飾られるようになる
・ビザンティン風の平面的な表現から、古代のリアルな肉体表現や奥行き感を表現する絵画が出てくる

飛び梁によってどんどん高くなる建物の壁や天井の重みを分散させ、壁を薄くすることができ、大きな窓が取られるようになる。
そしてそこに大きなステンドグラスがはめ込まれます。


▼ノートルダム寺院の飛び梁(フライングバットレス)
外に出た飛び梁により、ロマネスク期と比べてより高い建物を建てることができ、大きな窓を取ることが可能になりました。

Flying buttresses of Notre Dame de Paris (c. 1230), Jean Lemoine, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

▼サントシャペル
美しいステンドグラスの窓。圧巻です。

Sainte Chapelle - Upper Chapel, Paris, France,
Didier B (Sam67fr), CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons


▼「キリストへの哀悼」
ジョット・ディ・ボンドーネ 
スクロヴェーニ礼拝堂絵画  
1304−1306年

革新的なジョットの作品は、中世から次の時代のルネサンスとの橋渡しとなります。
より肉体を感じさせる人物像に、感情表現が豊かになります。
そして奥行きを感じる空間表現も出てきます。

Giotto-Lamentation (The Mourning of Christ). Scrovegni Chapel, public domein, via Wikimedia Commons


西側のカトリック教会では、このように立体的で表情豊かな聖像を作るようになっていきます。
この変化が3日目となるルネサンス美術と繋がっていきます。

2020年はコロナウィルスが世界中に広がりました。
この記事を書いている2022年2月もウィルスが変異してまだまだ油断がなりません。
それでもワクチン接種がすすみ、私たちはコロナウィルスと共に生きていくために日々模索をしています。

ゴシックのところで軽く触れましたが、ペストの大流行は世界的に大きな影響をもたらしました。
人口激減が社会構造や価値観を変化させ、農業生産などの「もの」の価値から、お金が重視される貨幣経済へと移行。
ルネサンスへの幕開けにもなっていくのです。

次回はルネサンスです。




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