【世紀末ウィーンのグラフィック】デザインそして生活の刷新にむけて 京都国立近代美術館

京都国立近代美術館で開催中の「 世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて」展に行ってきました。

19世紀末のオーストリアのウィーンで生まれた、ウィーン分離派を中心とした芸術家たちの、版画、挿絵、装丁、ポスター、雑誌などのグラフィックを中心に紹介した展覧会です。

京都国立近代美術館が、2015年に購入したコレクション300点がまとまってみることができるとあって楽しみにしていました。

見どころを書いていきます。<

ウィーン分離派が重要視していた展覧会のカタログ、ポスター、展示風景の写真

 
第1回ウィーン分離派展記念絵葉書
 
 
ウィーン分離派の展覧会は、第一回目展以降は、1898年に完成した分離派会館で開催されていました。
毎回展覧会のテーマに合わせて、会場の展示設計、ポスターやカタログが作られて人々の関心を集めていました。
 
オリジナルのポスターやカタログに合わせて、掲載されている絵の原画や版画作品も展示してあり、分離派メンバーがこだわって製作したことが伝わってきました。
またたくさんの展示会場の写真もあり、当時の様子がわかるようになっています。
 
 

人々の芸術感覚を変化させた、美しいデザインのカレンダー、書籍やポスターなど

右 エディタ・モーザー 1908年度版カレンダー

ウィーン分離派は、絵画や彫刻といった純粋芸術と、工芸、装飾芸術や家具や建築などの実用性をもとめた応用芸術を分けて考えることはしませんでした。
その2つをあわせた総合芸術として人々の生活や社会を向上させることを目指したのです。

展示作品の中に、カレンダーが数多くありました。

ブックデザインもとにかくため息のでるような美しさでした。
紙に文字と画を組み合わせて、見返しや表紙を作り本を作っていく過程は、複数の芸術家や職人が関わるということで分離派でも重要な分野だったようです。

 

浮世絵の影響で、多くの木版画を制作したウィーン分離派

カール・モフ(版画)、ヨーゼフ・ホフマン、ウィーン工房(装丁) 版画集「ベートーヴェンの家」
 
ヨーロッパでは木版画は16世紀のデューラーの時代に多く製作されましたが、 その後エッチングに取って代わり、安くできる複製技術へと成り下がっていきました。
そこに日本の浮世絵がヨーロッパに大きな影響を与え、木版画が注目されます。
木版画作品を多く作ったのがウィーン分離派の特徴でもありま した。
さらにエミール・オルリークは日本で浮世絵製作を学び、帰国後分離派メンバーにも製作を指導します。
版画は額に入れられインテリアとして飾られることも多く、幅広い人々に芸 術を行き渡らせるという分離派の理想にも合ったものでした。
オルリークの作品、その他の多くの個性豊かな木版画は必見です。
 
 

オリジナルは消失。クリムトのウィーン大学天井画の素描

グスタフ・クリムト 右向きの浮遊する男性裸像「ウィーン大学大広間天井画<哲学>のための習作」
 
クリムトは仲間のエルンスト・マッチェとともにオーストリア政府から依頼 を受け、ウィーン大学大広間の天井画を製作しました。
大学の4学部、神学・哲学・医学・法学の寓意画で通称「学科絵」と言われ ています。
しかし、この作品は大学に設置する前に分離派展でお披露目されると非難の 声があがりました。
古典的な大学の世界とクリムトの創造した世界観が合わ なかったことが大きな原因です。
世間の激しい批判はついには依頼者の政府の責任問題にまで発展し、結局ク リムトは政府に違約金を払って作品を買い戻し騒動を収めることになります。
その後、クリムトの支援者アウグスト・レーデラー所有となった作品は、第二次世界大戦の1945年焼失してしまいます。
 
 

クリムトに続いて活躍したココシュカとシーレの作品


オスカー・ココシュカ「窓辺の少女」(ウィーン工房絵葉書no.152)


1905年に保守的なメンバーとの意見の違いから、 クリムトと一部のメンバーは分離派を脱退。
その 後1908年と1909年に芸術展を開催したのですが、そこでデビューしたのがエゴン・シーレとオスカー・ココシュカ。クリムトは若い世代の才能発掘にも力をいれていて、2人はクリムトに認められた画家だったのです。

多く活躍した女性芸術家やデザイナーの作品


ウィーン工房(編) マティルデ・フレークル、マリア・リカルツ、ダゴベルト・べフェほか(画)

「ウィーン・ファッション1914/15」展覧会では多くの女性たちの作品を見ることができます。
当時は女性を受け入れていなかったウィーンの芸術アカデミー。
しかし、 ウィーン工芸学校は開校時から女性学生の入学を認めていて、ウィーン工房 も積極的に招き入れていました。
女性たちはテキスタイルやファッション部門の発展に不可欠な存在でした。
芸術に区別をつけない、幅広い人に芸術を・・・という分離派の考え方は当然です が男女の区別もつけなかったのですね。

特別出展。アドルフ・ロースの家具とリヒャルト・ルクシュの石膏像

リヒャルト・ルクシュ 「女性ヌード」

展覧会の作品は、アパレル会社、キャビンの創業者平明暘氏のコレクションでした。
ルノワールやセザンヌなどの芸術に興味のあった平明氏は、1989年ウィー ンでエゴン・シーレの展覧会で衝撃を受けて、すぐにギャラリーで作品を購 入。
その翌年、ミュンヘンでミヒャエル・パプスト氏に出会い、コレクショ ンを紹介され一括購入を決めたそうです。
1991年には、さらに、クリムトの素描10点、コロマン・モーザーの絵画 (のち売却)、アドルフ・ロースの家具一式、リヒャルト・ルクシュの石膏 像を購入して、自分のコレクションを完成させました。

今回の展覧会に合わせて特別出展となったアドルフ・ロースの家具一式と、リヒャルト・ルクシュの石膏像は、現在は武蔵野美術大学所蔵です。
リヒャルト・ルクシュの1905年の、2体の 女性ヌード石膏像は、ウィーン工房作のプ ルカーサスドルフのサナトリウム用に製作 されたと考えられていますが、実際には設 置された記録はありません。
石膏ではなくセラミック製が2組あり、一つはハンブルグ工芸博物館に、も う一つは世界遺産になっている分離派メンバーヨーゼフ・ホフマン設計、 ウィーン工房製作のストックレー邸にあります。

この石膏像は入り口入ったすぐに展示してあるのですが、いい雰囲気を出していて、これから見ていく作品を期待させるようになっていました!

世紀末ウィーンのグラフィック展の詳細(展覧会は終了しています)

「世紀末ウィーンのグラフィック」 デザインそして生活の刷新にむけて京都国立近代美術館
会期:2019年1月12日〜2月24日
休館日:月曜日(ただし1/14, 2/11は開館し翌火曜日は休館)
開館時間:午前9時半〜午後5時(金曜日と土曜日は午後8時まで)入館は閉館の30分前まで

2019年4月13日〜6月9日
東京の目黒区美術館へ巡回

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