「没後70年 吉田博展」に行ってきました。
この展覧会を知ったのは、去年行った福井市美術館でのこと。
ダイアナ妃が執務室に飾っていた「光る海」という作品が使われた展覧会のポスターを見たのです。
そのポスターはこちら
この作品に一目惚れでした!
この繊細さを木版でどうやって表現してるのと驚いた。
光の輝きや水のゆらめき、空気感に広い海と地平線が広がる空間。
単調になるどころかこの世界観。
この目で実物を見たくて、2021年にかけて巡回する展覧会を楽しみにしていました。
今回の展覧会は、彼が49歳から始めた木版画作品に焦点をあてたもの。
水彩や油絵でも人気絶頂だったのに、人生後半に木版画家に転向、そして木版画でも大成功します。
作品も見たかったのと同時に、どんな人物なのかもとても興味がありました。(そもそも知らなかったのが悔しい)
展覧会を見た感想は、やはりすごい人だったということ。
あまりにも陳腐な表現で申し訳ないけれど、すごかった!!!
こうやってたった一瞬で人を虜にしてしまうような作品を作れる人は並大抵の人じゃない。
そのすごさや、さらに虜になった作品について語らせてください。
風景画で世界に認められた吉田博
吉田博については、アメリカン・ドリームを実現した画家。
「絵の鬼」「早描の天才」「煙突掃除屋」「黒田清輝を殴った男」「反骨の男」など色々な呼ばれ方もあるようです。
絵の繊細さとは違って、気迫や荒々しさも感じさせるような呼ばれ方もありますね。
個人的には「黒田清輝を殴った男」というのがとても気になりましたが・・・
吉田博は、1876年(明治9年)に今の久留米市に生まれました。
洋画家として活躍している中、1899年に友人の画家中川八郎とアメリカへ行きます。
当時の洋画家の人たちの向かう先はヨーロッパが主流だったように思いますが、彼はアメリカだったんですね。
なんでも当時の日本の洋画界は、黒田清輝が中心とした白馬会というのが力があったそうなんです。
彼らは国費でフランスへ留学する。
吉田はそこに対抗してアメリカへ行くことに。それも自力で。
最初の渡米では、持っていった水彩画を現在の価値で数千万円売り上げる、デトロイト美術館で二人展を開催する、美術館に作品を買ってもらえる、ボストンやワシントンの美術館へ招待状を書いてもらう、新聞に取り上げられるなどまさにアメリカン・ドリームを実現していきます。
こうやって結果だけ書いてると、その後ろにあるものが伝わりにくいですが、版画家である吉田司氏(吉田博のお孫さんだそうです)が成功した理由についてこんなことを図録に書かれていました。
・画才
・冒険心
・語学教育
・人との出会い
そして、これは展覧会での映像上映で出てきた言葉ですが、”人のやっていないことをやってやろうとするタイプの人だった”と語られてました。
その後も2回世界旅行にでかけて、3回目の旅行中に木版画の出版をすることを決め、制作にかかることになりました。
油絵から版画に49歳で転向
3回目のアメリカ行きは、関東大震災で被災した仲間を助けるために、油絵約800点も持って出かけました。
しかしほとんど売れず、売れたのは版元から預かっていた木版画だったそうです。
その経験から自分が版元になって作品を作るというアイデアが浮かぶ。
世界から日本を見ることで日本らしさや、日本人ができる表現、どんな世界観や表現が海外で受け入れられるのを考えた結果なんでしょうね。
アメリカで成功することを常に意識していたということが先見の明があったということでもありますね。
戦後アートの中心がアメリカに移ったということを考えても。
画像で使わせてもらっている「帆船」という作品は、時刻や天候を変えた6枚の作品が並んで展示されていました。
左上から 朝、午前、午後、
下左から夕方、夜、霧
こちらの作品は本当に美しくて、近くで見たり、引いて全体を比べて見たり、もう一度戻って見たりと、結局何度も見てしまいました。
版画作品で描かれているのは、日本の風景だけではなく、旅した世界各地の風景も多数あります。
木版画の表現に、アメリカ、インドや東南アジアの風景というのは、新鮮な印象がありました。
こだわり抜く版画家
海外、特にアメリカでは、浮世絵ばかりがもてはやされていることにも納得がいかず、自分で浮世絵を超える版画を作ることを目指すのですが、そのこだわり方が半端ないです。
たとえば摺りの回数。
浮世絵は平均10数回の摺りで製作されるそうです。
しかし吉田の作品は平均30数回。
1番多いものは「陽明門」という作品の96回!!
この絵は展示されていますのでぜひ見てください。
もはやこれは版画だと分かっていても、筆で描いたようにしか見えない。
これまでの版画制作は下絵、摺師、彫師と分業で作業されてきたもの。
吉田博は、摺りや彫りの作業にも目を配らせて、そして決まりごとみたいなものに縛られない挑戦することに重きをおいていた。
それが、洋画の表現方法を日本の伝統的な版画にも活かすということで、オリジナルな作品になったのだなと思いました。
まるで筆で色を載せてるかのような工夫が、こんなため息ができるような表現につながっていました。
ゆらゆらとした水面に映っている風景
光の反射できらめく海
雨に濡れた地面
水に写り込んだ山や木々
細かい建築の模様から差し込む光
自然に飛び込み現場主義
会場にはスケッチブックの展示もありました。
ささっと描いたというよりは、色も塗られたり、描きこまれたものが多かったです。
今確認されているので約170冊ほどのスケッチブックがあるそうです。
こうやって現場で見ることを大切にして、時に同じ場所で移り変わる姿をじっと見つめることもあった。
会場内にあった解説にはこんな説明もありました。
日中は炎天下の中スケッチをする
刻々と色や姿を変えていく山並みを朝から晩まで凝視していた
インドのタージマハルでは、満月を見ることができるように月齢を計算して日程をくみ、昼の景色と夜の姿もとらえた
登山家でもあり、実際に山に登り、時には長期滞在して目にした景色を描く。
それが朝と夜といった同じ作品だけど色が違うものにもつながっているのかな。
ラファエル前派や印象派の画家たちが、執念を持って外で描いたいたことを思い出しました。
没後70年 吉田博展 概要
※展覧会は終了しています
2021 年1月5日(火)~1月18日(月)
京都高島屋 (京都市下京区四条通河原町西入真町52)
2021 年1月26日(火)~3月28日(日)
東京都美術館 (東京都台東区上野公園8-36)
埼玉会場 Saitama ★開催見合わせ(会期未定)
川越市立美術館(埼玉県川越市郭町2丁目30-1)