西洋美術の歴史を旅しよう!西洋美術史入門講座1日目:始まりは古代ギリシアとローマ

この西洋美術史講座では、古代ギリシアとローマ美術からスタートします。

紀元前のはるか昔にはじまるこの二つの美術は、この後に続いていく美術の教科書のような存在となり大きな影響を与え続けます。

特にルネサンス期には、この古代の美術や思想が新たな形で復活となります。

さらにその後の時代でも古代ギリシアやローマと出てくるところがありますので、ここで古代の美術について知っておくと「なるほど、そういうことか」と理解していただけると思います。


【古代ギリシア美術:紀元前600年〜30年】


さっそくですが、古代ギリシア、古代ローマの美術と聞くとどんなイメージが浮かぶでしょうか?

「ヌードの彫刻!」という方多いのではないでしょうか?

芸術作品だから・・・と言い聞かせて見るものの、じっと見るのはちょっと恥ずかしい・・・

なぜあんなに「はだか」だらけなのでしょうか?


古代ギリシア人の信仰していたギリシア神話の神様は、人間と同じ肉体や性別を、また豊かな感情も持った神々でした。

美しい人間の体は神々からの授かりものであり、ヒトの美しさを讃えることは神様を讃えることになる。

そして美しさ = 立派な人間 という価値感があったのです。


紀元前6世紀ごろには美男コンテストも行われていたというから驚きです。

神々の姿、伝説上の英雄、当時活躍していた競技者や戦士などの彫刻が完璧な肉体で表現されているのはそのような背景がありました。


ではその完璧な肉体はどのように作られたのでしょうか?

紀元前5世紀の彫刻家によって多くの人間の身体の部位が測定され、平均値が算出されました。

そこから全体として調和の取れた基準値が設定されたのです。

はるか昔にすでに確立されていた黄金バランス。

ギリシアの文明の高さを感じますね!!

彫刻だけではなく、パルテノン神殿のような建築物も比率など計算し尽くされたバランスで建てられていることも付け加えておきます。


では女性像はどうだったのでしようか?

初期は衣装をつけていましたが、少しづつ肌があらわになり、男性像よりかなり遅れて紀元前4世紀中頃ヌード像が作られます。

女神ヘラ、アフロディテ(ヴィーナス)、ニンフ(自然界の精霊である若い女性像)などが作られました。

ルーブル美術館にあるミロのヴィーナスは、紀元前130年ごろの作品です。これは、理想のプロポーションである八頭身で作られていますが、それだけではなく、股下が身長の半分、両乳首とすねを結ぶとほぼ正三角形になるなど、美の法則がふんだんに生かされているそうです。


▼「ミロのヴィーナス」
紀元前2世紀末

ヴィーナスが司るのは、美、愛欲、愛、多産。
恋多き女神です。

Front views of the Venus de Milo, Livioandronico2013,CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

裸体像も時代と共に変化していきます。



その変化を表すのが、これからご紹介するアルカイック時代クラッシック時代ヘレニズム時代の3つの時代になります。


アルカイック時代 (紀元前600年ー480年)


▼アルカイック時代は、この像のように直立したポーズが特徴です。

Kritios Boy, Tetraktys, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

クラッシック時代 (紀元前480年ー323年)


▼クラッシック時代になると、表現が豊かになり、同時にコントラポストというポーズが多く見られるようになり

Headless statue of Hermeswith traveller's cloak and caduceus, Marie-Lan Nguyen, public domain, via Wikimedia Commons


一歩を踏み出すように片足に重心をかけることで、腰や肩の位置が変わり、体の表現に動きをもたらします。


このポーズ、モデルさんなどがキメのポーズなどでやっていますよね。

身体を優雅に美しくみせるポーズは、すでにこんな昔から分かっていたのですね。

ヘレニズム時代 (紀元前323年ー30年)


そしてヘレニズム時代には、古代ギリシア、マケドニア王国のアレクサンドロス大王の遠征の結果、文化圏が大きく広がり、美術にも大きな影響をもたらしました。

クラッシック時代よりさらに躍動的で、感情を表現したような作品も作られました。


▼ギリシア神話のラオコーンの銅像

Laocoön and his sons,LivioAndronico, BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons


ギリシア神話に登場するトロイアの神官ラオコーンとその息子がたちが、海蛇に巻き付かれている悲劇の場面を彫刻にした作品です。

1506年にローマで発掘されたときには、ルネサンスの三代巨匠の一人ミケランジェロが立ち会ったと言われています。

この作品はミケランジェロに大きな影響を与えます。


紀元前146年にはローマ帝国がギリシアを支配し、帝国によってギリシア文明が引き継がれて行きます。

そしてここで重要なのは、ギリシア彫刻をローマ人がコピーしたということ。

このコピーによって私たちはオリジナルはなくなってしまったギリシア美術を知ることができるのです。

【ローマ美術:紀元前509年ー紀元後392年】

どんな時代だったのか?

紀元前270年ごろにはイタリア全土がローマ帝国になり、紀元前146年にはギリシアが、30年にはエジプトもローマの支配下になります。

その後五賢帝時代(96年〜180年)には「すべて道はローマに通ず」という言葉の通り広大な領土を治めることになって、地中海に平和と経済的発展をもたらします。


ローマ美術の特徴

ギリシア美術に憧れを持っていたため、多くの彫刻をギリシアから輸入し、コピーし、公共の場所や自宅に飾るようになります。

また、イタリアにはもともとエトルリア人の美術があり、そこにローマ帝国が受け継いだ古代ギリシア美術が融合し発展し、彫刻や絵画などの洗練した作品が多く作られました。


そして徐々にローマ独自の美術が生まれて生きます。

・ギリシアの理想的な人間の姿とは違い、本人に似せた肖像彫刻

・裸体像は少ない

・時代の流行を取り入れた髪型など


さらに絵画としては79年の火山の大噴火で埋没した古代都市ポンペイの遺跡の壁画や、壺絵などにもギリシアのリアルな肉体表現を見ることができます。


ローマ皇帝の彫像も個性をとらえたものになっていることがわかると思います。

このような銅像は公共の場や私的な空間にも飾られていました。


▼ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの銅像

Augustus of Prima Porta, Till Niermann, public domain, via Wikimedia Commons


ローマでは土木技術も優れていたためコンクリートの巨大建築も作られます。

・円形闘技場のコロッセオ
・公共浴場のテルマエ
・凱旋門
・パンテオン 
 など

軍事的勝利を記念して作られた凱旋門です。ローマの建築にはギリシアでは見られない半円アーチがあります。

このローマ時代の凱旋門をモデルに、ナポレオンは自分自身をローマ皇帝のように見られることを意識して、パリに凱旋門を建てます。
またイギリス、ドイツでもローマ時代のものを手本に作られているんですよ。

▼コンスタンティヌスの凱旋門

Rome, Arch of Constantine, Alexander Z., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

こののちローマ帝国は滅亡の兆しが見え、帝国は東西に分断され、別々に統治されました。

異教とされていたキリスト教は392年にはローマ帝国の国教となり、ギリシア・ローマ美術は影に隠れ、中世のキリスト教美術の時代に入って行きます。


次回は中世の時代へ。キリスト教美術の世界の始まりです。






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