イタリア・ルネサンス、北方ルネサンス、マニエリスムはいかがだったでしょうか?
ルネサンスと言っても地域によってさまざまな特徴があることを感じられたと思います。
この回では、バロック、ロココ、新古典主義と3つの様式をお伝えします。
情報が多くなりますが、少しづつ読み進めていただければと思います!
ところで、前回で触れた宗教改革を覚えていますか?
バロック美術の発展にはこの宗教改革が大きく関係しています。
イタリアを中心としたカトリック教会は威厳を取り戻し信者の心に訴えるために美術の力を使います。
そして、フランスなど周辺国の王たちは、権力の誇示のために使いました。
フランスのルイ14世が中心になったのがバロック後期。
彼が好んだ威厳を象徴する華々しいモチーフも、その後ルイ15世に変わるころから、もう少しリラックスした優雅でエレガントな女性的なスタイルへと変化していきます。
それがロココ時代です。
美術の中心もローマからパリに移ってきます。
その後のロココの過剰な装飾に対する反抗や、イタリアでの古代都市遺跡の発掘などが、古代ギリシアやローマへの立ちもどりを進め、新古典主義が拡大していきました。
それでは1つづつ見ていきましょう。
【バロック: 1600-1725 西ヨーロッパ全域】
バロックは16世紀末のイタリアで始まり、17世紀に西ヨーロッパで大流行した芸術様式です。
ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味する「バロッコ」という言葉が語源と言われています。
どんな時代だったのでしょうか?
ヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの宗教戦争が激化していました。
ローマ教皇を頂点とした教会支配を脅かされたカトリック教会は、対抗宗教改革を行っていきます。
威厳を回復するために、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院など壮大な大聖堂や教会の改築、また新たに建築もスタートさせ信者の心をとらえようとします。
人々が教会の中に入るなり大きく感動させることができるように、劇的な空間を作ろうとしたのです。
これがバロック様式の始まりです。
信者集めのためイエズス会ができ、日本へフランシスコ・ザビエルが布教にきたのもこの時代のことです。
また国家権力の増大で、17世紀のフランスではルイ14世、イギリスではジェームズ1世などが力の誇示のため美術を最大限に利用しました。
オランダは、スペインから独立し、東インド会社によって貿易で経済バブルを迎えていました。(チューリップ・バブルと言います)。
バロックの特徴とは?
- 光と影の激しい明暗対比
- 劇的な構図や演出
- 豊満な肉体表現
- スケールの大きさ
スケールの大きさとは、建築そのものだけでなく内部の空間を大きく見せること。
教会に入ってまず目に入る宗教画を巨大なサイズにしたこともです。
大理石の彫像は、大胆な構図や服のドレープが広がる、迫力あるものが制作されます。
バロック時代では、偶像崇拝を禁止していたプロテスタントに対抗し、カトリックでは彫像の豪華なものが次々に制作され、建築物の上にも積極的に置かれるようになりました。
天井や壁に描かれたフレスコ画は、イリュージョンの効果によって、劇的な空間を作りあげることに成功します。
建築と絵画のブレンドは、このバロック時代から始まりました。
さらに、劇的と言えば光と影をいかした明暗法も。
イタリアのカラヴァジョやオランダのレンブラントのように、人物の背後に黒を使う明暗法を取り入れ、教会そのものがまるで劇場のようなドラマチックな空間になっていきます。
バロックの作品
▼「聖マタイの召命」
カラヴァッジョ
1599-1600年
当時罪深き収税吏とされていた仕事をしていたレビ(のちの聖マタイ)をキリストが自らの使徒にしようとする瞬間が描かれています。ユダヤの社会では、ローマ帝国の手先となって税金を取り立てる収税吏は、裏切り者としてとても憎まれていました。
テーブルには、一心不乱に金を勘定する男達が。そこへ現れた2人の男。頭上に金色の輪があり、髭の青年がイエス・キリストです。緊迫した空気、暗い室内に差し込む強烈な光。窓の柵が光にやって十字架のように浮かび上がっています。
カラヴァッジョは今までの宗教画の伝統をこの作品で大きく変えました。
▼「夜警」
レンブラント・ファン・レイン
1642年
レンブラントは大勢が整列したり、テーブルを囲んだりする当時のお決まりの集団肖像画ではなく、一人一人を生き生きと、そしてこのような劇的な空間に仕上げました。縦363cm、横437cmの大きな作品を前にすると、市警団の話し声が聞こえてくるような、こちらに向かって歩いて来るような躍動感が伝わってきます。
タイトルの「夜警」はニスの汚れで暗い画面からのちに付けられたもの。
正式には『バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市警団』と考えられています。
▼レンブラント「夜警」についてはこちらで詳しく書いています。
▼「サン・ピエトロ広場」
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
1656-1667年
ベルニーニが作る彫刻も素晴らしいけれど、建築家としてのヴァチカンの広場には圧倒されます。列柱が並ぶ建物は、ヴァチカンに集まった信者たちをまるで包み込むように丸く広場を囲んでいます。そして列柱の上には聖人の彫刻が並んでいるのがわかりますか?
この広場に立った時の感動は忘れられません。ベルニーニはカトリック教会の威厳を取り戻すのに成功していることが実感できます。
【ロココ:1710年-80年】
ロココは18世紀はじめのフランスで生まれ、その後ヨーロッパ中に広まった様式です。
言葉の語源は、バロック期の庭園に多かった「ロカイユ」という小石や貝殻を固めて作った人口洞窟のこと。
ちまちまとかごちゃごちゃといった否定的な意味で使われました。
どんな時代だったのでしょうか?
きっかけとなったのは、1715年フランス国王ルイ14世が亡くなり、「太陽王」と言われた絶対君主の重苦しい宮廷から解放されたこと。
その反動から生まれたのがロココでした。
ルイ14世の後に即位したルイ15世は、淡い明るい色を好み、宮廷でもパステル調の服装が流行しました。
絵画をはじめ、建築やインテリアもそんな宮廷人の好みに合わせて発展し、感覚に訴える色彩が大切にされたのです。
女性の活躍も注目です。ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人や、その後のルイ16世の王妃マリー・アントワネットが文化や芸術の発展を支えていきました。
しかし、華やかでおしゃれな時代では、国の資金を浪費。そのことがのちのフランス革命を招くことになります。
ロココの特徴とは?
- 雅宴画(がえんが)という野外で催された宴会風景の流行。華やかでおしゃれに描かれました。
- 閨房画(けいぼうが)の流行。閨房とは寝室のこと。無防備な寝室の姿を覗きみたような視線で描かれているかなりエロい絵です。
- 明るく華やかなパステル色
- 曲線
- 浮ついた宮廷文化だけではなく、市民の生活に目を向けた日常風景の絵も描かれる
ロココの代表的な作品
▼「シテール島への巡礼」
アントワーヌ・ヴァトー
1717年
当時上演されていた芝居から着想を得て描かれた作品です。
シテール島は、海で生まれたヴィーナスや愛の女神が最初に陸に上がった場所とされています。
この作品のような雅宴画を描く画家は多くいましたが、ヴァトーのようにはかなげな美しさを表現できる画家はいませんでした。
▼「ぶらんこ」
ジャン・オノレ・フラゴナール
1768年
宮廷人(左下にいる人物)の依頼で制作されたこの作品。元々は自分の若い愛人と司教を描くという依頼だったはずが、フラゴナールは司教を、不貞の妻を持った夫に変えて、ユーモアを感じるおしゃれな雰囲気の作品に仕上げました。
しかし、よく見ると高貴な男性が女性のスカートの中を覗くという場面。
依頼と大きく変わった作品にどう思ったのか気になるところです。
【新古典主義: 18世紀後半〜19世紀 】
どんな時代だったのでしょうか?
1789年ブルボン朝による絶対王政を倒そうとする市民革命「フランス革命」が勃発します。
当時のフランスの国家財政は、宮廷の浪費や戦争の失敗によって破産寸前でした。
重税と貧困に苦しむ市民たちが自分たちの地位向上や自由を求め革命が起こったのです。
1793年には、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが処刑されブルボン王朝は崩壊し、市民が国家のリーダーを選ぶ共和制へと変わります。
1804年国民投票によって新たにフランスの皇帝に選ばれたのが、ナポレオン・ボナパルトです。
ナポレオンは国王ではなく、古代ローマ将軍と同じ皇帝という称号を使っていることに、彼がローマ帝国の皇帝を意識しているかがわかります。
称号だけでなく、ナポレオンによってパリにある2つの凱旋門(カルーゼルとエトワール)とヴァンドーム広場の記念柱が建てられたのですが、どちらも古代ローマの凱旋門とトラヤヌス帝の記念柱を真似たものです。
ナポレオンは芸術品が持つ力を強く意識して、こんな人物に魅せたいというイメージを建築や絵画で作り、政権と権力に結びつけたのです。
さらに古代への人気は、18世紀半ばから始まったイタリアのエルコラーノやポンペイの古代都市の発掘調査(79年のヴェスビオ火山噴火で埋没された)や、考古学的発見によって高まっていきました。
どんな特徴があるのでしょうか?
新古典主義は18世紀半ばに古代ギリシャ、ローマ芸術の復興で発生した様式です。
ヨーロッパだけではなく、新大陸のアメリカまで広まりました。
古代へと遡る傾向はルネサンスのところでも見てきました。
しかし新古典主義では、バロックのイリュージョン的な要素や、ロココの華やかな宮廷美術への反発から始まったことです。古代の正しい理念と強い倫理観を取り入れようとしていくのです。
新古典主義の代表的な作品
▼「アルプスを超えるナポレオン」
ジャック・ルイ・ダヴィット
1801年
この作品はナポレオンのイメージ戦略の1つです。
「火のような馬に乗った、落ち着き払った姿」を描くように指示を出したと言われています。
勇ましく、颯爽とした皇帝の姿として描かれています。
普通は激しく動く馬の上でこんなに冷静に堂々とカメラ目線などできないですよね?
実際のナポレオンは、アルプス越えは険しいアルプス越えでは、馬ではなくラバで旅していたのです。
▼「グランド・オダリスク」
ジャン・オーギュスト・アングル
1814年
ナポレオンの妹でナポリ王妃であったカロリーヌ・ミュラがこの絵の注文者。
作品は、アングルがフランス・アカデミーの奨学生として訪れたローマで制作されました。イタリアから戻るとアカデミックな芸術の指導者として崇められます。
アングルは絵画は”玉ねぎの皮”の様に滑らかであるべきという古典的な流れも大切にしていました。
異国オリエントの世界に、神話世界のヌード女性のテーマを移し換えた作品です。
とても盛りだくさんの旅でしたが、バロック・ロココ・新古典主義の違いを感じていただけましたか?
次回は、ロマン主義、写実主義、バルビゾン派です。