「西洋美術の歴史を旅しよう!西洋美術史入門講座」 6日目 ロマン主義・写実主義・バルビゾン派

6日目はロマン主義写実主義バルビゾン派です。

前回の最後に出てきた新古典主義は、秩序と理性を重んじたスタイルでした。

新古典主義とは異なりロマン主義は想像と感情、個性を尊重しました。

作品のテーマは、古代よりも中世に焦点を当てたものが多く、また自然の力を感情の延長としてとらえ、神秘的で幻想的な風景画も登場しました。


ここでは3つの様式の時代背景を見てから一つ一つの説明に進んでいきます。

どんな時代だったのでしょうか?

1789年に始まったフランス革命は、ついに1793年ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されフランスの王政が崩壊しました。

1804年に、皇帝ナポレオンが国を治める第一帝政時代に入ります。

しかしナポレオンの失脚、王政復古、1830年の7月革命で倒されました。

その後オルレアン家のルイ・フィリップによる立憲君主制が成立するも、1948年に2月革命によってルイ・フィリップが失脚。

ナポレオンの甥のルイ・ナポレオン・ボナパルトが大統領に就任し、1852年には国民投票によって皇帝に。をナポレオン3世と名乗り第二帝政時代となります。

約60年の間にめまぐるしく情勢がわかり、混乱極まりない状況がわかりますね。

ナポレオン3世の時代には、フランス社会のブルジョワ化と都市化がより進みました。

19世紀前半には人口30万から40万人だったパリも、半ばになると100万人になったというから大都会へ発展していくスピードの速さがわかります。

パリの街も近代都市化へと大改造が進みました。

取り囲んでいた城壁が壊され、街路樹と歩道が整備されて私たちの知っているパリに近い姿になったのがこの時代です。

都市化が進むと市民の間に格差が広がっていき、失業者や低賃金労働者が増えました。

当然ながら公害も増えていきます。

1848年には様々な問題で不満が爆発し二月革命が起こります。

1871年には普仏戦争(フランス帝国とプロイセン王国)講和に反対する労働者が、革命政府パリ・コミューンを立ち上げましたがすぐに鎮圧されました。

このような時代背景の中で写実主義は都会の現実を暴き、バルビゾン派が田舎に移り住み、作品を制作したわけです。


【ロマン主義: 18世紀末〜19世紀 】


ロマン主義のロマンとは、ロマンスという中世に広まった騎士道精神や名誉で彩られた華やかな物語に由来しています。

倫理観、理性といった新古典主義に反発する流れで生まれました。

西洋美術の歴史の中で、ロマン主義以前は画家の個性よりも美術の様式が共通している時代が続きました。
しかし、これ以降、画家個人の目指す方向によって様々な主義が誕生していきます。

それまでのパトロンである注文主の依頼にしたがって描くというだけでなく、画家自身の想いや表現方法といったものが特徴となっていきます。
同じ時代に色々な主義が登場してくるのにもそういった理由があります。
理解するためには、時代背景や画家の想いを知ることが大切ですね。

■ロマン主義の特徴

新古典主義の型にはまった理知的で冷たい絵から、想像力を掻き立てるような激しさを求めたもの。
激しいタッチと強い色彩、動きのある構図が特徴です。

19世紀前半を中心に、古典主義がギリシアやローマの美術を模範として、正確なデッサンと安定した構図にもとづく様式を持っていたのに対し、もっと自由な発想による高揚した感性の世界を表現しようとした様式。
古典主義が「人間の理性に信頼を置いていた」とすれば、ロマン主義は「何よりも感受性を重んじた」と言えます。

ロマン主義の代表的な作品

▼「メデュース号の筏」
テオドール・ジェリコー 
1819年

この絵に描かれているのは、1816年に実際に起こったメデュース号の遭難事件。フランスの軍艦が沈没し、筏で漂流している人々の悲惨な状況を生々しく描いています。
ジェリコーがこのテーマに取り組んだことは大きな波紋を呼びました。
宗教や神話などを描く高尚な芸術世界に、時代のニュースで扱うような題材を持ち込んだという批判が沸き起こったからです。
今では考えられない発想ですね。

Théodore Géricault - The Raft of the Medusa, Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「民衆を導く自由の女神」
ウジェーヌ・ドラクロア 
1830年

シャルル10世が権力の座を奪われた1830年の7月革命を記念した作品。ドラクロアは革命を支持していました。この作品は政府が購入。不穏な空気が再び広がらないように、密かに公の場所から移されたそうです。ドラマチックさを強調するために、正確さよりも大胆なタッチや色使いを重視しています。

Eugène Delacroix - Liberty Leading the People, Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「マドリード、1808年5月3日」
フランシスコ・デ・ゴヤ 
1814年

こちらもスペイン独立戦争(1808年ー14年)にナポレオン軍の占領下であったスペインで実際に起きた住民虐殺事件を描いたもの。
5月2日マドリード市民が武力をもち立ち上がったが占領軍に鎮圧されます。その後軍の兵士たちは、報復として反乱者を逮捕し、郊外のプリンシペ・ピオの丘で処刑したのです。
ゴヤは戦争の悲惨さを絵画で訴えようとしました。
宮廷画家として活躍していましたが、晩年人間のグロテスクな部分を描く作品が大きくなってきました。

Francisco de Goya - The Third of May 1808, Public Domain, via Wikimedia Commons

【写実主義:1850年前後 フランス】 


写実主義は単に写実的に本物そっくりに描くというものではなく、社会にある貧困、悲惨さ、醜さ、わいせつさなどを包み隠さずにありのまま描きました。

現実を美化する新古典主義への反発というところでは、ロマン主義と同じです。

しかし、ロマン主義の画家たちが夢や理想を描いたのに対して、見たままを客観的に描くというところが大きく違うところです。


クールベは普通の労働者の姿や、女性の裸婦像を描いた作品で絵画を冒瀆していると非難され、何度もサロン(官展)に落選します。

革命政府パリ・コミューンに参加していたクールベは、反乱に荷担したということで逮捕され、釈放後はスイスに亡命しています。

写実主義の代表的な作品


▼「出会い(こんにちは クールべさん)」
ギュスターヴ・クールベ 
1854年

右側の旅姿の人物がクールベ、そして左側の人物はパトロンであるブリュイアスとそのお付きの人。
絵の道具を背負って田舎道を歩いているときに、ブリュイアスに出会った場面が描かれています。
クールべは絵のタイトルに「こんにちは クールべさん」と名づける。
この絵には伝統的な優雅な身のこなしや、印象的な色彩もない、日常のありのままを描いています。
そのことが当時の芸術界では芸術としてのレベルではないと評価されるのです。

Gustave Courbet - La rencontre , Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「画家のアトリエ」
ギュスターブ・クールベ 
1855年

こちらもクールべの作品。
絵の前に座っている人物がクールベ自身だと言われています。
自分を中心に右側には自分の理解者と左側の無関心な人々を描いた大作。(縦約3.6メートル、横約6メートル)
絵はこの年のパリ万博に別の大作と共に出品を拒否され、会場の隣に小屋を建てて「個展」を開催しました。
それが世界で初めての個展を言われています。

Gustave Courbet - The Painter's Studio, Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「三等客室」
オノレ・ドーミエ 
1862−1864年

ドーミエは都会の最も下層に生きている庶民に観察の目を向けました。
初期は風刺新聞の挿絵などを描いていて、そこで培われた鋭い観察眼が油絵の世界にも引き継がれました。
三等客室に座る貧しい庶民の姿を、厳しい生活の中でたくましく生きている立派な姿として描きました。

Honoré Daumier - The Third-Class Carriage, Public Domain, via Wikimedia Commons

【バルビゾン派:1820年〜1870年頃 フランス】

ロマン主義に見られた自然への憧れは、ロマン主義、写実主義へとうつっていく間にも個性的な風景画家たちを生み出しました。


パリから60kmほど南へ下ったフォンテーヌブローの森のはずれにあるバルビゾン村。
都会の喧騒を離れて自然の中で絵を描くという芸術家の憧れのライフスタイルを確立した芸術家がいました。
農村の風景や働く農民の姿を描いた画家たちはバルビゾン派と呼ばれています。

写実主義のありのままの現実を描く作品とは違い、都会からみた憧れも込めた農村の風景や、貧しい農民の姿も美しく描いたのです。

バルビゾン派の代表的な作品


▼「ナポリの浜の思い出」
カミーユ・コロー 
1870−1872年

コローは素晴らしい人物画も発表していましたが、1830年の7月革命のパリを離れバルビゾンで制作を続けます。
ここで見られるように銀灰色のくすんだ独特の風景画が彼の特徴となります。
イタリアが好きで生涯3度のイタリア旅行をしており、この絵もそんなイタリアの思い出を描いています。

Jean-Baptiste-Camille Corot - Reminiscence of the Beach of Naples , Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「落穂拾い」
ジャン・フランソワ・ミレー 
1857年

ミレーは肖像画、裸体画などで収入を得ていましたが、1849年に芸術家が集まっていたバルビゾン村に移住してから働く農民の姿を描きました。
絵に描かれているのは、刈り入れが終わった畑の麦の穂を拾い集める3人の貧しい農婦。
明るい光のもと貧しくても懸命に生きる姿を、厳かな雰囲気で描いています。

Jean-François Millet - The Gleaners, Public Domain, via Wikimedia Commons

コローやミレーの自然への接近は、次回に登場する印象派の画家たちに大きな影響を与えます。


次回は印象派、後期印象派の登場です。
どうぞお楽しみに!




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