こんにちは。
幻のコラージュ作家として注目を集めている岡上淑子の展覧会「岡上淑子コラージュ展ーはるかな旅」を見に、高知県立美術館へ行ってきました。
数ヶ月前まで私は彼女の名前も作品も知りませんでした。
Twitterで投稿されていた岡上淑子作品の画像を見て、この作品好き!これは見に行かなければ!と強く惹かれ見に行くことにしたのです。
Twitterで見た作品は、展覧会のポスターやチラシにも使われている<招待>という1955年に作られた作品です。
上品で優雅で、でもちょっと不気味な不思議な世界観がある作品に一目で心奪われてしまいました。
最近はTwitterで本当にいい情報に出会うことが多いです。
時間的にも経済的にも、そんな見たい、行きたい、体験したいという情報に出会った時、そっちを選べることができるような状態に自分を置いておきたいと改めて思いました。
話が少しそれてしまいました・・・
それでは展覧会のこと書いていきますね。
幻のコラージュ作家、岡上淑子とは
高知市に1928年(昭和3)に生まれた岡上淑子は今年で90歳。
今回の展覧会は、喜寿の記念の初回顧展となります。
農林省勤めの父の仕事のため家族と共に3歳ごろ東京へ転居。小さいころから父からもらった豆カメラで撮影するなどしていたそうです。
女学校時代はほぼ戦争の時代と重なっており、疎開で高知に戻ったり激動の時代を生きてこられました。
終戦後恵泉女学園の家事科。小川服装学院で洋裁を学び、その後ファッション画を学ぶために東京文化学院入学。そこでは柳宗理、遠藤周作なども授業もあったのだとか。
東京文化学院での授業でちぎり絵があり、授業では色の紙を切り貼り合わせて作品にするところ、偶然にもそこに人の顔の写真が落ちてそれに面白さを感じ写真を使った作品を作るようになったのです。
それまで自分の頭のなかの空想や夢を表現する方法を探していたのですが、このちぎり絵からインスピレーションを受け、進駐軍が残した「VOGUE」「LIFE」などの洋雑誌から自分の夢にあう写真を切り抜き作品にしていきました。
美術の歴史も知らないし、絵を描くことに興味はあつても描くことに自信のない私は、頭のなかに描いた空想や夢をどのように表現したらよいか方法がわかりませんでした。
あるとき学校で友達が提出した図案の貼絵が目にふれ、それなら私にもできるかも知れないと、沢山のライフ、モード雑誌など自分の夢にあう写真を切り抜いては、つぎつぎと不思議な作品が実現できたよころびに力を得て今日に至つています。 「フォトコラージュ」『カメラ』1956年3月号
作曲家・武満徹から、美術史家の瀧口修造を紹介され、1953 年 1 月神田のタケミヤ画廊で「岡上淑子コラージュ展」を 開催。
同年 12 月「抽象と幻想:非現実絵画をどう理解するか」展(東京国立近代美術館)に出品。新進作家として注目 され、多くの美術誌や新聞等で紹介されていたのですが、1957年の結婚を機に制作から遠ざかっていました。
それが、2000 年 10 月、44 年ぶりの 個展「岡上淑子 フォト・コラージュ―夢のしずく―」(第一生命南ギャラリー)が開催されたことで“再発見”され、 以降アメリカ・ヒューストン美術館はじめ国内外の美術館での展覧会が相次ぎ、作品が収蔵されるなど注目が集まっています。
幻のコラージュ作家と言われるのにはこういった理由があったのですね。
2015 年には『はるかな旅 岡上淑子作品集』(河出書房新社)が出版されています。
この作品も好きです。<はるかなる旅>1953年 高知県立美術館蔵
岡上淑子とコラージュとは
コラージュ(collage) とは絵画用語で、フランス語で糊付けや貼り絵の意味があります。
画面に紙、布、木片、砂、木の葉などさまざまな異素材の物を貼り付けて作る作品。岡上さんは雑誌のページやイラストなどからハサミで切り抜きのりで貼り合わせ作品にしています。
このコラージュというのは美術とは少し離れているような気がしますが、キュビズムと言われるそれまでの美術を覆すようなスタイルが1907年ごろから1916年ごろ起こったのですが、ピカソやブラックなどがコラージュを1つの技法として使って作品を作っていました。
またその後はシュルレアリスムのマックス・エルンストが比喩、象徴、幻想など想像外の効果を生み出す作品をカタログ、教科書、廃棄物などを使って自分の幻覚を表現する手段として使いました。
岡上淑子も、エルンストの作品を美術評論家の瀧口修造より教えられ、画集などをみて大変影響を受けたのだそうです。
コラージュ作品を作るきっかけがエルンストの作品に感銘を受けたのだと語っている彼女の言葉があります。
この道にはいつた直接の動機は、エルンストのコラージュ作品を識り、深い感銘をうけたことです。さきほど写真でない写真と冗談をいいましたがこのコラージュという写真分野は写真というよりもむしろ造形絵画に近いものでしょう。 「ノリとハサミの芸術」『サンケイカメラ』1959年9月号
展覧会の展示内容
今回の展示は会場が2つに別れていました。
1つは国内所蔵作品約80点を展示しています。
高知県立美術館所蔵の34点に、東京国立近代美術館、東京都写真美術館、栃木県立美術館の所蔵品を含めた国内にある作品を集めたもの。7年間で制作されたのは140点ほどということです。
そしてもう1つの会場では、岡上さん自身の写真作品やコラージュを元にのちに制作されたシルクスクリーンプリントとプラチナプリント作品の展示でした。
このプリント作品は今後作品保護のためにも大切なことなのかも知れないですね。
また制作のヒントになった関連の資料もありどんな風に作品を作っていたのか感じることができます。海外美術館所蔵の作品もスライド上映として見ることができました。
これも実物をじっくり見てみたいと思う作品もたくさんあったので、いつか里帰り展覧会などが企画されるといいなぁと思いました。
岡上淑子のインタビュー記事をみつけました
岡上淑子さんのインタビュー記事を見つけました。2013年の3月のインタビュー記事です。
興味深く読んだところがたくさんあるのですが、その中でも特に印象に残ったのはこちら。
7年間の制作時期を振り返りあの時だからできた、あの時が一番自分らしかったと。多分やりたいこともたくさんあっただろうけど、女性にはまだ自由が少ない時代。そこで諦められたこともあっただろうなと思います。
でもその中決して豊かではない物資の中で、7年間集中して自分の夢や想いをたくさんの作品にぶつけてこられたのだと感じました。それがまた評価されて多くの若い人の刺激を与えている。
芸術の持つパワーを改めて感じました。
2000年に個展がありその時に自分の作品がずらっと並んで、その作品を改めて見て良い作品だなと思いますか?との問いかけに
岡上:良いというより、まあ面白いっていうところでしょうか。良い時代を過ごしたというか。考えてみると、あれを作っている頃がいちばん自分らしかったわね。好きなことができたし。それは思いましたね。いちばん自分らしく生きたなって、あの頃は。
再評価されてあのまま続けていればよかったとは思いませんか?に対しては
岡上:思わないですね。だからこれは、あの時のものじゃないかなと思うのね。どこかが刺激されてね、パッと。感覚的でしょ、こういうのって、作るときって。考えて作れるものじゃないのね。そのときの感覚でポッと置くじゃない? そういうのが年とともになくなって(笑)。やっぱり若さかしら。
岡上淑子・オーラル・ヒストリー・高知県立美術館にて ・インタヴュアー:池上裕子、影山千夏、2013年3月8日、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ(URL: www.oralarthistory.org)
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