アートと自分をつなぐモノとコト

アルルでの幸せな日々に描かれた【ひまわり】フィンセント・ファン・ゴッホ

「ひまわり」
フィンセント・ファン・ゴッホ
1888年
ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

 

ゴッホは花瓶に入ったひまわりの絵を7点描きました。
その1点がこちらの絵。

自分が理想郷と考えていた日本のイメージと近い南フランスのアルルで、画家たちと共同生活をして作品制作をしたいと思っていたゴッホ。
そのための「黄色い家」に仲間を招待していましたが、来ることになったのはゴーギャンただ一人。
それでもそのゴーギャンの到着を楽しみにして、ひまわりの作品を描いていたのです。

 

ミュンヘンの美術館にある作品と、このロンドンのナショナル・ギャラリーの作品を気に入って、ゴーギャンの部屋に飾ろうと自分のサインを入れました。
花瓶の左側の真ん中あたりに、Vincentの文字が見えますか?

 

先に描かれたミュンヘンの作品は12本のひまわりだけど、この絵は15本に増えている。
何だかゴッホの期待する気持ちが伝わってきます。

 

ゴッホはパリで当時話題となっていた日本の美術に出会います。
浮世絵を買ったり、日本や日本の美術についてどんどん知っていくにつれて、発展していくヨーロッパが失った平和で穏やかな社会と日本を結びつけていきます。
パリでは画商をしていたテオと生活をしていたのですが、都会の生活が合わずアルルへ行くことに決めるのです。
アルルへ出発するまでの日々のことをテオは語ってます。

 

フィンセントが旅立つ前、何度かワーグナーのコンサートに行った。2人とも演奏を堪能したよ。フィンセントがもうここにいないなんて、まだ実感がわかない。彼の存在はぼくにとってはいまになってまた大きくなっている。(「フィンセント・ファン・ゴッホの思い出」ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル)

 

仲も良いけど、フィンセントの気性の荒さなどで一緒に生活するのはなかなか大変だったそうだけど、この言葉を見ると2人の絆の深さを感じますよね。

 

ゴッホはアルルで制作意欲を取り戻して夢中になって描いていきます。
ゴーギャンとは結局才能や性格が違いすぎて仲違いし、その後はよく知られた耳切事件を起こし、療養所に入ってしまいます。
療養所を出たあとはオーヴェールで過ごし絵を描き続けますがひまわりは描かれなくなってしまう。
そして自殺と言われている事件で37歳という若さで亡くなります。
弟のテオは半年後病死。

 

2人の死後手紙や作品を整理してゴッホが世に出るきっかけを作ったのは、テオを奥さんだったヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル。
このひまわりの絵は、1924年ロンドン・ナショナル・ギャラリーが彼女から購入されたそうです。

 

 

 

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