フラ・アンジェリコ ”天使のような画家”と呼ばれた人生を知る

Yoko

英国大学で西洋美術史専攻
日本の大学で文化支援専攻
海外.国内旅で多くのアートに触れる
2019年から対話鑑賞会・講座主宰しています。

美術史の知識だけでなく、対話型鑑賞で自分はどう感じるのか?を大切にするアート鑑賞を提案しています。

フラ・アンジェリコ  Fra Angelico
1400頃〜1455
フィレンツェ北東ムジェロ地方のヴィッキオ生まれ

天使のような画家と呼ばれた人生

本名はグイド・ダ・ピエトロ。彼の生まれた穏やかな田園地帯のムジェロ地方は、画家ジョットやメディチ家の出身地です。
若い頃の活動については詳しくは知られていないようですが、画僧のロレンツォ・モナコに学び、1417年頃画家として活動を初めていると考えられています。
その後フィーゾレのドメニコ会修道院に入り2年ほど修練期間を送り、1422,3年からフラ・ジョバンニ・ダ・フィエーゾレという法名で活動しはじめます。
フラ・アンジェリコという名前はヴァザーリが著者の中で”天使のような”と度々表現し、フラ・アンジェリコ(フラは修道士、アンジェリコは天使のようなという意味です)と呼んだため広まりました。

1428年 玉座の聖母子と4聖人 サン・ドメニコ聖堂(フィエーゾレ)

1430年 最後の審判 サン・マルコ美術館(フィレンツェ)
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂のため描かれたもの。ミサの時に司教が座る椅子を飾るためにこの絵が描かれたということがこの形からわかっている。

 

1434年 「聖母載冠」ルーブル美術館 (サンドメニコ聖堂に描かれたもの)

 

1438年から1446年ごろにかけて、ドミニコ会修道院のサン・マルコ修道院に壁画を描きました。
この修道院は1436年にドミニコ会修道院に所有権が移り、それにともない当時の新進気鋭のミケロッツォが聖堂と修道院の増改築を任されました。
フィレンツェの有力者メディチ家のコジモ・デ・メディチはフラ・アンジェリコの素晴らしい才能に惚れ込み、修道院の工事が終わったあとの壁画装飾を任されたのです。
作品はフラ・アンジェリコとその弟子たちによって、一階の参事会室、回廊、二階の僧房や廊下などに約50点あります。

 

「受胎告知」サン・マルコ美術館 (修道院の2階僧房として描かれたもの)

 

1445年頃、当時のローマ教皇のエウゲニウス4世の依頼を受けローマに移り、ヴァチカン宮殿の装飾事業を手がけました。
しかしこの頃の作品の多くは失われています。
エウゲニウス4世の後継者であるニコラス5世に代わり、ニッコリーナ礼拝堂の仕事を続けました。

1447年–1449年 「聖ラウレンティウスを助祭に任ずる聖ペトロ」 ヴァチカン宮殿、ニッコリーナ礼拝堂(ヴァチカン)

 

1447年 「教会の宝物を受け取る聖ラウレンティウス」ヴァチカン、ニッコリーナ礼拝堂(ヴァチカン)

 

1449年末にはフィレンツェに戻り、ドメニコ会修道院院長となります。

1450年-1452年 「ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画」 サン・マルコ美術館 (フィレンツェ)

 

 

 

1453,4年頃再びローマに行き、1455年2月になくなりました。

彼の死後500年以上たった1982年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世より福音(ベアト)に列せられ、ベアト・アンジェリコという名前で呼ばれるようになりました。

ベアトとは、キリスト教の聖人の手前の存在。では聖人とは何なのか?
キリスト教作品によく聖人が登場するのを見たことがあると思いますが、あの人たち、キリスト教12信徒をはじめとする信者の模範になる人です。
(プロテスタントでは認めていません)
殉教や奇跡を客観的に認められ、厳しい審査のもの聖人として認められます。

もともと天使のような修道院として人々に愛されてきたフラ・アンジェリコだからこそ、今回ベアトとして認められたのでしょう。

フラ・アンジェリコを知ることのできるエピソード

ジョルジョ・バザーリが「芸術家列伝」でエピソードを残しています。その中でもとても印象に残ったものを紹介します。
彼の人柄が伝わってきます。

フラ・ジョヴァンニは人間味あふれる節度のある性格で、清らかな生活を送っていたため、俗世の罠にはまらなかった。自分のような仕事に従事するならば、静かな憂いのない生活を送るべきだとも、キリストにまつわる話を描くなら、いつもキリストの近くにいなくてはならないとも、繰り返し言っていた。

 

作品をひとたび完成すると、手を加えたり、描きな直したりしなかった。最初一気に仕上げたままで置いておくのが常であった。それが神のおぼしめしだというのが本人の言葉であった。噂では、画筆をとる前に必ず祈りの言葉を唱えたという。キリストの磔刑図を描くときは、涙がつねに彼の頬をぬらしていたという

ジョルジョ・ヴァザーリ「芸術家列伝1」平川祐弘・小谷年司訳

 

 

 

 

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