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【自分の好みを探す時間】アサヒビール大山崎山荘美術館

【アサヒビール大山崎山荘美術館】は、京都府大山崎町にある美術館。

ここには、英国の山荘をイメージして作られた本館に、安藤忠雄建築の新館。
モネの「睡蓮」を初め、ピカソやゴッホの絵画のコレクションから現代アートの作品も。
工芸品、古代の壺やデルフトタイルなど、さまざまなコレクションが充実しています。

でも、アーティストの作品を楽しむだけではなくて、この場所は、日本とイギリスをつなぐ場所だったり、関西の実業家の夢や情熱の詰まった場所でもあるのです!

【美術館で自分の好みを探す】旅としておすすめな大山崎山荘美術館を、大ファンである私がご紹介します。

「私ってこういう作品が好きなんだ!」

「なんだかワクワクするなぁ」

そんな自分の好き・価値観を探しませんか?

ぜひ最後までお付き合いください。

美術館への道のりも楽しめます

美術館の住所は、京都府乙訓郡(オトニグン)大山崎町銭原5−3。
京都府大山崎町、天王山の南麓にあります。

上の地図を見ていただくとわかりますが、かなり大阪寄りの場所にあります。

最寄駅は、
JR京都線「山崎駅」か、
阪急京都線「大山崎駅」。
2つの駅は徒歩2、3分の距離なので、どちらでも便利だと思います。


美術館への道の途中の表示
専用のトンネル。上部には「 大山崎山荘」と書かれています。

駅から少し傾斜のある坂道をしばらく登っていきますが、住宅地でありながら鳥の鳴き声が聞こえたりとハイキング気分に。

そうやって歩いていくと左手にトンネルが見えてきます!

この重要文化財にもなっているトンネルをくぐって中に入ります。

こんなかわいい道標も。

可愛らしい門が見えてきました!

美術館まであとわずかです。

イギリス山荘をイメージした本館

ついに美術館の建物が見えてきました。

イギリスの山荘をイメージして作られた本館。

大きな邸宅を訪問するような気持ちで美術館に入っていきます。

アサヒビール大山崎山荘美術館の歴史ー別荘から美術館へ

さてここで美術館としての歴史を簡単にご紹介しますね。

開館は、1996年4月。

約5500坪の庭園のなか、英国風山荘である本館と安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」、「夢の箱」、その他の建物から構成されています。

こちらは、「大山崎山荘」という関西の実業家・加賀正太郎の別荘でした。

1954年に加賀正太郎氏が亡くなり、その後加賀夫人もこの世を去ると、1967年に大山崎山荘は加賀家の手を離れることになりました。

平成のはじめには傷みが激しく荒廃寸前となってしまったそうです。

幾度かの転売、建物の老朽化、1989年には山荘をとり壊し、大規模マンションを建設する計画が浮上しました

周辺が開発の波にさらされるなかで、貴重な建築物と周囲の自然の保護保存を求める地元有志の方から声が上がります。

そんな中、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社が、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として公開することになります。

加賀正太郎氏は、アサヒビールの初代社長であった故山本爲三郎と同じ財界人として深い親交がありました。

そして1996年「大山崎山荘」を創建当時の姿に修復し、安藤忠雄氏設計の新棟「地中の宝石箱」などと、山本為三郎のコレクションが加わり美術館が開館しました。

山荘風の本館へいざ入場

美術館の入り口

それでは美術館の館内へ。

美術館内は写真撮影が禁止されています。

本館は木をふんだんに使った室内に、造り付けの家具や、アンティーク作品をインテリアのように飾られていたり、美しいステンドグラスがあったりと、とにかく見渡すもの全てが美しい世界観を作っています。

外へ出てみると目の前にはこんな美しい景色が・・・
同じ場所から右手を見てみると・・・

1階にある展示室からドアを開いて外に出ることができます。

柱とアーチが作りだす場所からの美しい眺めが目の前に。

別荘として使われていた当時は、部屋のソファーにゆったり座り、アーチ越しに絵画のような美しい景色を楽しんでおられたのだろうなぁと想像するととても羨ましくなりますね!

右手の廊下のように見える場所は、かつて加賀氏が蘭を栽培していた温室への渡り廊下。

今は温室はありませんが、安藤忠雄氏建築の展示室、山手館「夢の箱」があり、そちらでは絵画や彫刻などの作品が飾られています。(展示内容は変わります)

加賀氏はものすごく多趣味な人であったようで、蘭の栽培は海外から原種を取り寄せて、品質改良や交配をし、植物図譜《蘭花譜(らんかふ)》まで出版してしまったようです。

「趣味」という言葉は、自分の好きなことのような軽い意味で使うことが多いのですが、「ディレッタンティズム」に近いのではないかなと思います。

ディレッタンティズムとは、コトバンクによると(専門家以外の者が道楽や趣味から学問・芸術などの精神的活動、とくに芸術創作にいそしむこと)と書かれています。

先ほどの場所の2階のベランダからの風景

遠くに見える高い塔が見えますか?

こちらは栖霞楼(せいかろう)と言って、加賀氏がこの大山崎の土地を整地したあとまず先に建てた建築物。

そのてっぺんに寝泊まりしながら設計図をひいて建築の指揮をとったそうです。

隣に小さく見える二匹の羊はアート作品。

フランスの彫刻家、フランソワ=グザヴィエ・ラランヌの「新しい羊たち」。

この場所、彼らにはぴったりの展示場所ですよねー。

大テラスにはカフェのテラス席もあります。
大テラスからの雄大な風景。木津、宇治、桂の3つの川が合流しています。

加賀正太郎氏と大山崎山荘

建物を見てもらったところで、この別荘を作った加賀正太郎氏についてもう少しご紹介します。

関西の実業家加賀正太郎(1888-1954)は、加賀証券社長。

そして、大日本果汁(後のニッカウヰスキー)の設立資金の大半を出資したなどでもよく知られています。

22歳の時にヨーロッパへ。

4,000メートルを超す山として有名なスイスのユングフラウを日本人で初めて登頂したり、英国王立の植物園であるキュー・ガーデンで蘭の栽培を見学するなどしています。

イギリスのウィンザー城を訪れた際に眺めたテムズ川の流れの記憶をもとに、木津、宇治、桂の三川が合流する大山崎に土地を求めました。

ウィンザー城もテムズ川とジュビリー川の合流地点のすぐ近くに建っているんですよ。

さらにこの大山崎という長岡京の玄関口であったり、羽柴秀吉と明智光秀とが争った天王山の中腹に位置するなど、日本の歴史上でも重要な場所でもありました。

ヨーロッパから戻り、さっそく1912年から山荘建設に着手しました。

第一期工事は1917年頃に完成します。

当時の山荘は、現在の本館玄関ホール部分にあたり、イギリスで実見した炭鉱夫の家に想を得た。

そして名前は「大山崎山荘」と名づけられました。

そのあと改造をおこなったりして、現在の本館は、1932年頃に完成したと考えられています。

2004年には、「大山崎山荘」の6つの建物、霽景楼(せいけいろう)[現本館]、彩月庵(さいげつあん)[茶室]、橡ノ木(とちのき)茶屋、栖霞楼(せいかろう)[物見塔]、旧車庫[現レストハウス]、琅玕洞(ろうかんどう)[庭園入口トンネル]が国の有形文化財として登録されるなど、美術館建物そのものが重要な存在になっています。

庭園を散策してみよう

庭園から美術館本館を見る

本館、山手館「夢の箱」、「地中の宝石箱」の展示室を楽しんだ後は、外に出て庭園を散策。

本館の大テラスを見えることができます。

奥に見えるのは安藤建築。この右横の地中に展示室が埋まっています。

庭園には蓮が育つ池があり、目だけでなく、涼しげな水音と一緒に楽しませてくれます。

この写真は5月のGW中に撮影したものなので睡蓮の葉はまだわずかですが、間もなくすると一面が葉っぱで埋め尽くされます。

モネの「睡蓮」を楽しんだ後は、実際の睡蓮や池に反射する光や緑をモネになってように眺めてみたいと思う場所です。

庭園の彫刻作品(撮影時期が他の写真と違います・・)

イギリスの彫刻家、バリー・フラナガンの「ボールをつかむ鉤爪(かぎづめ)の上の野兎」。

アサヒビール大山崎山荘美術館の詳細

アサヒビール大山崎山荘美術館

京都府乙訓郡大山崎町銭原5-3

美術館の公式サイト: https://www.asahibeer-oyamazaki.com/


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