2日目はキリスト教美術が発展していく様子をみていきました。
西洋美術と言えばキリスト教美術と言ってしまいそうな、密接な繋がりが少しわかっていただけたでしょうか?
最初は難しいと距離をおいてしまいがちですが、聖書の物語をたどりながら見たり、作品に登場する”お約束事”を覚えていくと、グッと親しみが持てるようになります。
では、3日目はイタリア・ルネサンス美術です。
いよいよ馴染みのある時代へ入ってきましたね。
西洋史では14世紀から16世紀のイタリアがルネサンスと位置づけられています。
ルネサンスは「再生、復興」という意味のフランス語で、19世紀半ばにフランスとスイスの歴史家が、ヨーロッパの歴史を理想化して使い始めました。
偉大な古代文明が復興したといういうことであったのですが、古代の文明はルネサンス以前も完全に忘れられていたわけではなく、中世の世界でも継承されていました。
それが15世紀、イタリアのフィレンツェで、人間性ゆたかな古代文化の復興と中世のキリスト教美術の伝統が融合した美術となり花を開かせたのです。
ルネサンスは、近代の始まりとも言われます。
中世は神の存在が人々の生活にも、美術の世界にも圧倒的に大きかったのに対し、ルネサンスでは人々が人間と現実に目を向け始めました。
人間が世界の中心にあり、人間を基準に物事を考える視点が生まれたのです。
美術では、人間の正確な姿や、現実の空間を表現することに関心が向かっていきました。
フィレンツェは14世紀以来、毛織物業と金融業で発展。
街を支配していた商人メディチ家は、パトロンとなって優れた文人や芸術家を支えていました。
フィレンツェで生まれたルネサンスは、ミラノ、ナポリ、マントヴァ、フェラーラ、ウルビーノなどのイタリア各都市へ、そしてローマ、その後はヴェネツィアへ。
またアルプス北の国々、ネーデルラント、イギリス、スペイン、フランスにも広がっていきました。
【イタリア・ルネサンス:1400年ごろ〜1530年ごろ】
ルネサンス美術を支えたのは、中世と同じく最大のパトロンであるカトリック教会。そしてメディチ家などの裕福な新興商人たちでした。
パトロンたちによる美術と言ってもよいくらい、パトロンの力は大きかったのです。
(このパトロンと芸術家の関係は、モネやゴッホなど印象派たちが活躍する時代以降大きく変化していきます。そんなことも頭に入れながら旅を続けてくださいね。)
さて、パトロンたちは絵画、彫刻、フレスコ画を教会や宮殿のため寄託しました。
キリスト教の宗教画が圧倒的に多いのですが、古代の神話の世界を描いたものや、その背景に見事な風景を描きいれた作品などが生み出されていきます。
古代ギリシアやローマと大きく違うのは、美術の中心が彫刻から絵画になっていくことです。
ルネサンス美術は近代絵画の始まりとして、のちの芸術家たちに大きな影響を与えていきます。
ルネサンス美術の特徴とは?
ルネサンス美術にはこのような特徴があります。
・古代ギリシャの黄金比率や、この時代の解剖学によって可能になった、リアルでバランスの取れた人間らしい肉体表現
・油絵の陰影法で立体的に描けるようになる
・科学的な遠近法の発明で、奥行き感と安定した構図
・古代ギリシャやローマの神話と、神々のヌード姿が復活
・芸術家の地位の向上
・自然への関心から絵画の背景に風景が描かれるようになる
・鮮やかな色彩(とくにヴェネツィア)
どのように発展していったのでしょうか?
2日目の最後に紹介しましたが、13世紀から14世紀ごろ、画家ジョットがこれまでの平面的な表現とは大きく違う遠近法や陰影法で作品を生み出しました。
ジョットは、中世を通じて多くの画家が育て上げてきた、平面上に奥行きを生み出す方法をさらに一歩前に進め、ルネサンスへと発展していく幕開けとなりました。
15世紀のはじめには、イタリア・フィレンツェではこの3人の芸術家によって美術の革新がもたらされました。
建築家 ブルネレスキ
画家 マザチョ
彫刻家 ドナテッロ
ブルネレスキは、遠近法を数学的に正確に表現し建築を作りました。
その教えはマザッチョやドナテッロに受け継がれました。
遠近法と共に明暗法(光の当たる部分を明るく、影の部分を暗く、中間部分をグラデーションによって描く)によって、絵画の表現はさらに広がりました。
▼ルネサンス初期についてはこちらでもまとめているのでぜひ読んでみてください。
以降様々な画家へと発展を続けていきます。
ベアト・アンジェリコ、ボッティチェリ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、アンドレア・マンテーニャ、フィリッッポ・リッピなど
そしてあのルネッサンスの3大巨匠と言われる3人の芸術家へと。
ダ・ヴィンチ
ミケランジェロ
ラファエロ
ルネサンスの3大巨匠とは?
▼「ピエタ」ミケランジェロ 1498-1499年
ピエタとはイタリア語で「哀れみ」や「慈悲」という意味の言葉。
死んで十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵の事を指します。
自分のことを彫刻家であると考えていたミケランジェロは、この作品で名声を得ました。
成人となったイエスの母であるマリアが若すぎるという批判に対して、「罪ある人間が年をとる」と答えたというエピソードがあります。
▼「モナリザ」レオナルド・ダ・ヴィンチ 1503-1505年 ごろ
誰もが知っている有名な絵画。
レオナルドが最後まで手元に置いていたという女性肖像画の傑作です。
スフマート(ぼかしてグラデーションを付ける)というレオナルドが始めた技法で、顔や手が自然に見えるように肉付けされています。
さらに神秘的な背景の風景画。
4分の3正面の肖像画が、ルネサンス以降肖像画の主流なスタイルとなりました。
▼「小椅子の聖母」ラファエロ 1513−1514年
円形の板に聖母、幼児キリスト、洗礼者ヨハネが描かれています。
トンドと呼ばれる円形の絵画です。
庶民の服を着ている聖母マリア。
ラファエロはこのような人間らしく愛らしく、そして同時に神の子キリストの母としての高貴さを失わない聖母のイメージを作り上げました。
以後の聖母像のお手本となっていきます。
ヴェネツィア派とは?
1494年にフィレンツェにフランス王シャルル8世が侵攻し、フィレンツェを治めていたメディチ家が追放されたあとは、美術の中心はローマに移りました。
さらに、1527年には神聖ローマ帝国軍のカール5世がローマを攻撃。
美術の中心はヴェネッツアに移ります。
当時のヴェネッツィアはフィレンツェにつぐ重要都市でした。
ところが、ルネサンス様式を受け入れたのはイタリアの他の都市より遅かったのです。
理由は貿易によって東洋の国々とつなっがっていたから。
しかし受け入れ始めるとルネサンス様式に陽気さ、華やかさが加えられいき、独自のスタイルが発展していきます。
ベリーニからジョルジョーネ、ティツィアーノに繋がるヴェネツィア派もイタリア・ルネサンスの中ではとても重要な画家たちです。
ルネサンスの特徴として、デッサンを重視したフィレンツェ派、そして色彩を重視したヴェネツィア派と比較されます。
その色彩は、明るく輝いているということではなく、色のやわらかさや豊かさにあります。
色彩が豊かなのはこんな理由も考えられるそうです。
・水の都であるヴェネッツィアの大気が物の輪郭をぼかして、明るい光の中で色と色がたがいに溶け合って見えるから。
・東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスとの交易で、モザイク職人と繋がっていたこと。
▼「バッコスとアリアドネ」ティツィアーノ 1520-1523年
華やかな色彩と生き生きとした作品はティツィアーノの大きな特徴。
ギリシア神話の酒と演劇の神バッコスと、恋敗れ悲しむアリアドネの出会いのシーンを描いた作品です。
登場人物の躍動感溢れる動きやポーズが、大騒ぎして近づいてくるバッコスの群衆や、騒々しさに驚くアリアドネをうまく表現しています。
左側の鮮やかな青空は、高価なラピスラズリという鉱石が原料の顔料で描かれています。
イタリア・ルネサンスと同時期にフランドル(現在のフランス、ベルギー、オランダ)で北方ルネサンスが生まれました。
彼らの絵画はイタリアにも影響を与え、イタリアに並ぶ芸術の中心地となります。
明日はその北方ルネサンスと、イタリアルネサンス後期にフィレンツェやローマに登場した様式マニエリスムについてです。