「西洋美術の歴史を旅しよう!西洋美術史入門講座」 8日目 19世紀後半〜20世紀初頭の美術

印象派、後期印象派はいかがだったでしょうか?

現代に近づくにつれて、描かれているもの、色彩、描き方などがどんどんと変わってきているのを感じられたと思います。

世の中の変化に印象派が生まれ、彼らによって美術の歴史が大きく動く。

彼らの果たした役割は、8日、9日目との2日間に登場する多くの芸術運動が生まれるきっかけとなります。


ここからは本当にたくさん出てくるので、かなりややこしく混乱します。

でも、様式も1つ1つアーティスト達の理想や思い、それをどのように表現していったのか、時代背景と共に見ていくと面白さに変わってくると思います。

この時代の美術の特徴と時代背景を解説したあとに、それぞれの様式や代表的な作品をご紹介します。

19世紀後半から20世紀初頭の西洋美術の特徴と時代背景


19世紀後半から20世紀初頭にかけての芸術運動は、主にこのような特徴を持っています。

  • ナビ派は、オブジェの「本質」をとらえようと、形の単純化と平面的な色彩で表現しました。
  • 象徴主義は文学や伝説をテーマとした感情的で幻想的な作品を作りました。
  • 分離派アール・ヌーヴォーは植物の曲線や、魅惑的な女性を扱った象徴主義のイメージも受け継いで、装飾の分野にまで広がっていきました。


これらの運動が生まれた時代背景について見てみましょう。


1870年の普仏戦争(プロシア(北東ヨーロッパの歴史的地名)とフランス間の戦争)があり、勝利したプロシアは翌年にドイツを統一し、負けたフランスはアルザス・ロレーヌ地方を失いました。
戦争で民族意識を高める一方、人生や社会に幸福や満足が得られず悲観主義が高まります。


またヴィクトリア女王の統治下で「英国の平和」を謳歌したイギリスでも、繁栄の影にはびこる不正や偽善によって不安が蓄積されていきます。

イギリスやドイツの勢力の拡大や近代化などがもたらしたものは、さらに世紀末への悲観感となって、神秘主義的なオカルト思想が流行したり、幻想や神話の世界に傾いていきます。


19世紀末は、女性解放も進んだ時代です。
「ブルマ」の語源となったアメリカのブルーマ女史や、ドイツ人医師シュトラッツたちは、健康面からコルセットの廃止を提唱しました。
クリムトの親しい友人で服飾デザイナーのフレーゲは、ウィーン万博でみた日本の着物からヒントを得て寸胴型のワンピースを考案。
シャネルに先駆け女性をコルセットから解放しました。


それでは1つ1つ見ていきましょう。


【ナビ派:19世紀末 フランス】

ナビという言葉はヘブライ語の「預言者」を意味します。
その「ナビ」をグループの名称とした芸術家たちは、自分たちの間で通用する独特の言葉を使ったり、集まりのために服装やしきたりを考えたりグループの結束を固め、絵画、彫刻、工芸や舞台芸術など活動範囲を広めていました。

パリの画家ポール・セリュジェがゴーギャンから教えられた大胆な色使いの表現。
それはアカデミーで学ぶ正確な色での表現方法とは全く違う新鮮なものでした。

セリュジェはゴーギャンの教えから生まれた作品を見せたのが、ボナール、ヴュイヤール、ドニなどナビ派の主要メンバーでした。

セリュジュ以外は直接指導を受けたわけではなかったのですが、ナビ派の活動は、ゴーギャンの考えを引き継ぐものでした。

モーリス・ドニは自分たちの絵画の定義をこう表現しています。

「絵画作品とは、裸婦とか、戦場の馬とか、その他何らかの逸話的なものである前に、本質的に、ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な表面である」
モーリス・ドニ


このようにスタートしたナビ派の活動。その他にも特徴をまとめます。


・反体制派の若い画家達のグループ
・描く対象の外観ではなく「本質」をとらえようとした
・単純な形態と鮮やかな色の平面をはっきりとした輪郭線で描いた
・ステンドグラスからインスピレーションされた様式は「クロワゾニスム」と呼ばれた
・日本美術からの影響を受けた縦長画面、大胆な構図、余白の使い方

ナビ派の代表的な作品


▼「浴槽の裸婦と子犬」
ピエール・ボナール 
1941年、46年

Pierre Bonnard: Nude in Bathtub, Public Domain, via Wikimedia Commons



ボナールは、カンヴァス上に光と色が揺らめくタペストリーのような絵を描きました。
遠近法よりも色彩を重視。
鮮やかな色を薄く塗り、微妙な光と色の効果を表現することで、独特のきらめきが生まれています。
そしてぼんやりとした画面は、私達がものを見る時、位置や奥行きを把握する前に、全体的に捉えるその感覚をキャンバスに描こうとしたからです。


▼「ストライプのドレスの女性」
エドゥアール・ヴュイヤール 
1895年

Edouard Vuillard - Woman in a Striped Dress, Public Domain, via Wikimedia Commons



ヴュイヤールは、家族や友人が登場する親密な室内の日常的な情景を多く描き、自分自身で、「アンティミスト」(親密派)と呼んでいました。
他のナビ派よりもさらに平面的で、人物や背景が一体となったような、装飾色が強い作品を描きます。

ナビ派 その他の主な画家


モーリス・ドニ、
アリスティード・マイヨールなど


【象徴主義:19世紀後半 イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ、スイスなど】

象徴主義とは文学にもおよんだ運動で、詩人のジャン・モレアスが1886年に主張を宣言書をまとめました。

1850年代以降の自然主義運動(写実主義や印象主義)に対する反動から生まれてきた象徴主義。想像力、思考力が彼らの芸術にはないと考え、そういった感性を芸術に復興することを目指したのです。

ものを表現するよりも、繊細な色彩のハーモニーで雰囲気を呼び起こすことに重点をおいたのです。


その他にはこのような特徴があります。


・文学や伝説を題材とした感情的で幻想的な作品
・描くテーマや技法は古風。でも画家は自由な想像力を優先して作品を制作
(テーマや技法は革新的でも自然を写生したりする点では古典的だった印象主義とは対照的)
・ルネサンス以前のゴシック的な精神性や北方ルネサンスの細密性を感じさせる
・男を破滅に導く「運命の女(ファム・ファタル)」を好んで描き退廃ムードが漂う。

象徴主義の代表的な作品


▼「オルフェウス」
ギュスターヴ・モロー 
1865年

ギリシア神話に登場する竪琴の名手であるオルフェウス。
竪琴に乗せられたのはオルフェウスの頭部です。
オルフェウスは蛇にかまれて亡くなった愛する妻エウリュディケを取り戻すため、冥界へと下りていきます。
無事に妻を生き返らせる許可を得たものの、約束を破り地上に戻る前に振り返って妻を見てしまう。
妻を取り戻せず悲観する彼に対し誘惑する女たちは、相手にされなかったことを怒りオルフェウスを殺してしまうのです。

Gustave Moreau: Orphés, Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「ベアタ・ベアトリクス」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 
1864〜70年

妻リジーを薬物死で失い、妻の面影を13-4世紀のイタリアの詩人ダンテが恋した女性ベアトリーチェとして描いたロセッティ。
ダンテはベアトリーチェ が天上と地上を結ぶ愛の導き手と存在させました。
ここでも、アヘンの元となるけしの花をくわえた赤い鳥には光輪も描かれていて、リジーが、あの世へとつながり亡くなる瞬間を描いた絵でもあるのです。

Dante Gabriel Rossetti: Beata Beatrix, Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「ヴィーナスの鏡」
エドワード・バーン・ジョーンズ 
1875年

ヴィーナスや女性たちが湖を見つめています。
ここでは何か特定な物語があるのではないのですが、バーン・ジョーンズは古典的な神々が登場する夢や幻想的な場面を多く描きました。
バーン・ジョーンズはロセッティとは師弟の関係で、彼から大きな影響を受けました。

Edward Burne-Jones: The Mirror of Venus, Public Domain, via Wikimedia Commons

象徴主義 その他の主な画家


オディロン・ルドン、
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、
マックス・クリンガー、
フェルナン・クノップス、
オーブリー・ビアズリー、
エドヴァルト・ムンクなど


【分離派とアール・ヌーヴォー:19世紀末から20世紀初頭 ドイツ、オーストリア、イギリス、フランス、ベルギーなど】


<分離派>

・ドイツ語圏の都市でアカデミーやサロン(官展)などの古い権威から離れて自由に活動する芸術グループがたくさん登場
・分離独立を意味するラテン語「セセッション」と名乗った→日本では分離派と呼ばれる
・ミュンヘン分離派、ウィーン分離派、ベルリン分離派などがある
・絵画に限れば象徴主義やその後の表現主義に含まれるが、分離派は建築家やデザイナーも参加した
・美術と工芸の総合芸術を目指した
・美術と工芸が一緒であった中世の職人仕事に理想を求めるアーツ・アンド・クラフツ運動

<アール・ヌーヴォー>

・装飾芸術
・フランス語の「アール・ヌーヴォー」(新しい芸術)、ドイツ後では「ユーゲントシュティル」(若者の様式)と呼ばれている
・イギリスのウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動が先駆けとなりその後ヨーロッパ中に広まる
・曲線的で平面的な装飾性は、現在のグラフィックアートの原点となる
・植物や昆虫などの自然モチーフを単純化した図柄
・鉄やガラスなどの当時の新素材を多く使った
・日本の浮世絵や再評価されていた古代ケルト美術などにも影響を受けた
・マスコミの力によって普及した初の芸術運動

分離派とアール・ヌーヴォーの代表的な作品

▼「ユディト I」
グスタフ・クリムト 
1901年

描かれているのは、色仕掛けで敵のアッシリアの司令官ホロフェルネスを酔わせて寝首を掻いた旧約聖書に登場するユディト。
彼女は世紀末に好まれたテーマ運命の女です。
右手の下にはホロフェルネスの顔が描かれてます。
金や文様の使い方は、中世のビザンティン美術や、日本の美術品の影響も受けています。

Gustav Klimt: Judith and the Head of Holofernes, Public Domain, via Wikimedia Commons

▼「モエ・エ・シャンドン社のシャンパン」
アルフォンス・ミュシャ  
1899年

アールヌーヴォーを代表するミュシャは、劇場で装飾画として働いたあと、絵画を本格的に学びました。
女優サラ・ベルナールのために作ったポスターが大当たりして注文が殺到。
まだポスターが珍しかった1890年代に、このような商業用リトグラフポスターを多く制作しました。
ミュシャの作品は、世紀末の神秘的や不安の要素を取りのぞき、華やかさを取り入れています。

Alphonse Mucha: Français : Moët & Chandon Crémant Impérial, Public Domain, via Wikimedia Commons


▼「タッセル邸」(ベルギー、ブリュッセル)
ヴィクトール・オルタ 
1893-94年

ベルギーのブリュッセルに作られた、建築にアール・ヌーヴォーを融合させた世界初の例と言われています。
古典的な間取りをやめて、自然光を取り入れた中央のホールを中心に部屋が構成されているのは、当時としてはかなり画期的なことでした。
素材はあえて見えるようにし、曲線の装飾をふんだんに使うことで、流れがあり軽やかさが表現されています。

Tassel House stairway, Public Domain, via Wikimedia Commons

分離派・アール・ヌーヴォー その他の主な芸術家


ジュール・シェレ、
ウジェーヌ・グラッセ、
エミール・ガレ、
ルネ・ラリックなど


たくさんの様式や作品で頭が混乱してるでしょうか?
作品と解説の特徴を見比べながら楽しんでいただけると嬉しいです。


次回ははもっと多くの様式が出てきます。
どうぞお楽しみに!

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