アート日記

どんな風に死にたいか・・・祖母のお見舞いから考えたこと

2018-01-14

自分の死についてどんな風に死にたいかと考えたことありますか?

自分の最後です。

どんな場所で、だれがそばにいて、何を思いながら、自分は旅立っていくのか。
そしてお葬式にはだれが来てくれて、どんな風に見送ってくれるのか。

こんなことを考えるのは、自分がどんな人生を歩みたいのかを考えることに繋がります。その最後を迎えるためには自分が今、そしてこれから何をしないといけないのか。

可愛いおばあちゃんになっている私は、パートナーを先に看取って今は一人暮らし。子供はいないけど、世界中、日本の各地にいるお友達やそのご家族との交流があり寂しくない。父と母は亡くなったけど、兄弟は今でもとても仲良し。ずっと続けているブログも形態は今とは変わっているのかもしれないが、自分の想いや勉強したことを書き続けている。自宅の本棚には自分の書いた本が並び、私がファンになった職人さんの作った家具や食器、好きで集めた絵画や骨董品が飾られている。愛着のある好きな物に囲まれた生活。今イメージしているのはこんなところまで。最後が具体的にまだイメージできない。

先日母方の祖母のお見舞いに行きました。祖母は現在94歳。お腹と胸に大きな動脈瘤を2つ持っていて、数年前からそれがいつ破裂してもおかしくないから覚悟しておくように言われています。一昨年に一緒に住んでいた祖父がなくなり、その後どんどん体力も弱り、持病も悪化して入院。今は現在の介護施設と病院を行ったり来たりする生活になってしまいました。年末には肺に水がたまり身体のむくみが酷くなりかなり心配したのですが、最近は落ち着いてきました。

先日お見舞いに行った時には、ベッドでうとうとしていたのですが、母と私の姿をみるなり、「電話したいから、待っていたのよ!」と。そして車椅子に乗って部屋を出て休憩所で電話をはじめました。

祖母はとにかく行動派の人。じっとしていることができない人。農家の一人娘でしたが、婿養子である祖父と共に兼業農家としてパート社員として60歳まで企業で勤め上げました。その後は自由になった時間で、海外旅行、一眼レフカメラ、俳画を始めました。それに加え以前から楽しんでいるお茶、着物、組紐など幅広く趣味を謳歌してました。俳画は途中から教えて欲しいという人が出てきて、昨年まで自宅教室をやっていました。まだまだやりたいこと、自宅のことで気になることがたくさんあって、同じ敷地内にすむ叔父や私の母を困らせることをありますが、同時に私たちはこんなに身体が弱ってきても、やりたいことがたくさんある祖母に驚いています。頭もしっかりしています。

私は祖母から多くのことを学び、たくさん影響を受けてきました。そんな祖母がどんな最後を迎えるのか。一昨年祖父がなくなった時は大好きな祖父が弱っていくこと、亡くなることがただただ悲しかった。でも祖父は生き抜いて亡くなっていく姿をしっかりと見せてくれました。天気がよく暖かい午後のあの日、祖父は自宅のベッドで長きに渡り力を合わせてきた祖母と、大好きな娘(私の母)があーだこーだ言いながら布団を直している最中に静かに息を引き取りました。

その話を母から聞いた時、祖父らしい最後だなと思いました。だからもう祖母の最後の時がきても悲しんでばかりではありません。しっかりと見届けて送ってあげる。そんなことを思いながら、祖母と別れてきました。

私も自分の最後をイメージする。人生って自分のアート作品だと思うんです。そこからあとは逆算して考えていく。そうしたら40年後→30年後→20年後→10年後→1年後とどうなっていなければならないか、そのためには何をしないといけないかが明確になるはずです。



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