東京上野、国立西洋美術館で開催中のルーベンス展の展覧会レポートです。
ルーベンス展の公式ツイッターを、いつも楽しみに読みながら待っていた展覧会。
ルーベンスの作品が40点以上(一部ルーベンス工房作や帰属作を含む)が集められた今回の展覧会の特徴は、ルーベンスをイタリアの画家として見ていくというもの。
ルーベンスはフランドル地方の出身ですが、22歳の時に当時は芸術の最高峰であったイタリアへ行き8年過ごしました。
みどころは、彼がイタリアで何を学びそれがどのように作品に活かされていったのか?
そして同時代や次世代に活躍した芸術家の作品と一緒にルーベンスがバロック美術にどんな影響を与えたのか。
この日は平日の夜間開館の日。
昼間に新国立美術館のピエール・ボナール展をかなり時間をかけて鑑賞、その後友人とミュージアムショップとカフェでゆっくり過ごして、気づいたら予定以上に時間を超過してしまいました。
そのピエール・ボナール展の展覧会レポートはこちらから読んでくださいね▼
https://cosinessandadventure.com/bonnard2018-tokyo/
20時の閉館なのに西洋美術館に着いたのは19時過ぎ。
最後まで見れないと行けないからーと前半はかなり焦りながら見ていきました。
そのためよく覚えてないところや、ちょっと自分の理解まで落とし込めてない部分もあるように思いますが、まとめていきます。
ルーベンスとイタリア
まず、今回の展覧会の、ルーベンスをイタリアの画家と見なすというのはどういうこのとなのでしょうか?
それはルーベンスとイタリアの関係を知るとわかります。
ルーベンスはフランドル地方(現在のベルギー、ルクセンブルグ、フランス北部)出身です。
フランドル地方のアントウェルペンで修行して、イタリアから帰国後工房をひらいたのもこの街です。
当時の芸術の最高峰と言えばイタリア。芸術を志す人物なら絶対に行きたい国でした。
古代ギリシアやローマ
イタリア・ルネサンス
が集まり、最新の芸術の発信される場所だったからです。
だから当然ルーベンスもいつか自分もイタリアへ行く!と修行生活を送っていたはずです。
そして1600年5月9日、22歳のとき一月かけてイタリアへ渡りました。
・ヴェネツィアでヴェネツィア派のティッツァーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ絵画から色彩や構図を学ぶ
・マントヴァでゴンザ―家のすばらしい宮廷コレクションから学ぶ
・ローマで古代の芸術、ルネサンス巨匠の作品、カラヴァッジョの作品から学ぶ
・スペイン王室コレクションでティツィアーノやラファエロの傑作から学ぶ
マントヴァ公の宮廷画家として立場で、普通はなかなか見ることはできない王室コレクションを見て、そこから学ぶことができた。
1608年に母が危篤という連絡を受け、一時帰国の予定でアントウェルペンに帰りました。
その後イタリアに戻ることは叶わなかったようです。
ルーベンスにとって、イタリアの8年間は膨大な勉強をした大切な時間だったようです。
今回の「ルーベンス展」の責任者である国立西洋美術館の渡辺普輔主任研究員の言葉を、西洋美術館のニュース冊子でみつけました。
もしローマに戻っていたら、ルーベンスは「イタリアの」画家として後世に名を残したことでしょう。
ただ、帰国後も彼はローマでなした模写を終生大事にして制作に役立て、手紙を書くときはほぼいつもイタリア語を用いました。
心の中には常にこの南の国があったのです。
ルーベンス展の構成
I ルーベンスの世界
ここではルーベンスの描いた肖像画が中心に並んでいます。
やはりここは家族を描いた作品が目を引きますね。
ルーベンスの愛娘5歳のクララちゃんの肖像画、そしてこちらの眠っている2人の子どもの作品も。
「眠るふたりの子ども」
1612年〜1613年
西洋美術館所蔵の絵画です。
安からに眠る子どもの赤いほっぺ、少し開いた口、くるくるの巻き毛、ぷくぷくとした柔らかそうな肌、本当に可愛らしい。
すやすやと寝息が聞こえてくるような生き生きとした表現だけど、これは幼い子どもの表現を研究するための作品。
それでこの完成度!!
2人は仲の良かった兄、フィリップの子どもたちだそうです。
ルーベンスはイタリア滞在中、フィリップとローマのスペイン広場近くに一緒に住み、古代社会や古典の勉強をしていました。
II 過去の伝統
古代彫刻や16世紀の作品のルーベンスによる模写とともに、ルーベンスの作品が展示されています。
過去の作品からルーベンスは何を、どのように学んだのか。
ここでも「ラオコーン」が登場しました。
1506年にローマで発掘された「ラオコーン」像。
今年みた「ミケランジェロと理想の身体」展でもラオコーンの発掘がルネサンス芸術家に衝撃をもたらし、大きな影響を与えたことが紹介されていましたが、ルーベンスも模写を残し、同じバロックの巨匠ベルニーニが作った胸像も展示されていました。
「セネカの死」
1615年ー16年
ローマ皇帝ネロに仕えた哲学者で政治家、ネロに命じられ自害したセネカの堂々とした姿。
ルーベンスは古代彫刻から学んだ姿勢と、当時はセネカ像と考えられていた頭部から描いています。
III 英雄としての聖人たちー宗教画とバロック
宗教画の聖人を扱った作品が集められています。
ここでも、ルーベンスが作品を描くのに参考にした古代の彫刻や、彼が影響を与えたイタリアの作品とともに展示されています。
IV 神話の力1ーヘラクレスと男性ヌード
神話の世界で男性ヌードが集められています。
ルーベンスは古代彫刻、特にヘラクレスに理想の男性像を見出しました。
その中でも《ファルネーゼ家のヘラクレス》は何度も模写していたようです。
そして、彫刻を摸倣して学ぶことの大切さと、その時に注意することを記していました。
それによると、
古代の肉体より今の方が、運動不足や身体の衰えで肉体が劣っているので、
理想的な身体の表現を学ぶためには古典から学ぶ必要がある。
でも彫刻は石であるから、肉体の質感の違いに注意をしなければいけないと。
そこで、ルーベンスはチョークやクレヨンで、肉体の柔らかい線を作り出していたようです。
V 神話の力2ーヴィーナスと女性ヌード
神話の世界で女性ヌード作品が集合。
男性像がヘラクレスなら、女性像はヴィーナスに理想の姿を見出したルーベンス。
豊満な女性がたくさん出てきます。
VI 絵筆の熱狂
”絵筆の熱狂” このタイトル、ルーベンスの絵画にピッタリの表現だと思います。
この言葉はルーベンスの伝記作者たちによって記されているものだそうです。
ルーベンスの筆さばきによって、描かれているものは躍動して、まるで生きているように見える。
「パエトンの墜落」
1604-05年頃、1606-08年頃に再制作
ギリシア神話のパエトンが太陽神の戦車を暴走させたために、ゼウスの雷を受けて墜落する場面が描かれています。
落雷の激しい衝撃と光、馬のいななき、神々たちの叫び声が伝わってきます。
複雑な構図に、これだけの人物や馬の数を何の不自然さもなく描ききっている。
ダヴィンチの「アンギアーリの壁画」を思い出させる、回転とうずまきの動き。
VII 寓意と寓意的説話
ルーベンスは教養の固まりのような人。
古代彫刻だけでなく、古代文学にも精通していた。
この章に集められている作品にも、描かれているものにたくさんの意味が含まれている。
「マルスとレア・シルヴィア」
1616年−17年
軍神マルスと、かまどの女神ウェスタの神殿に使える巫女レア・シルヴィア。
彼女に恋したマルスは甲冑を身につけつつ、かぶとはプットーに預けて、レア・シルヴィアに駆け寄っていきます。
驚いたレア・シルヴィアは身をひいていますが、マルスを彼女の方へと導く愛の神キューピッドの存在は、この恋の成就を暗示しているのだとか。
このときレア・シルヴィアが宿した双子の息子ロムルスとレムスが、ローマの建国者になったといいつたえられています。
レア・シルヴィアは引いているけど、でも顔はうっとりしているように見えるなぁ。
鮮やかな色彩とドラマチックな表現は、神話の世界の話だけけれど、まるでルーベンスがその目でこの場面を見てきたように生き生きとしていた。
大好きな作品です。
まとめ
8年間のイタリアでの学びがルーベンスに与えた影響はとにかく大きかったのだろう。
でもそれは、ルーベンスがフランドル時代に身に着けた教養、そして持ち前の才能や人格があってこその成果。
イタリア滞在中からルーベンスは広く注目されていたけど、アントウェルペンに戻り宮廷画家となり、注文が殺到するような画家となっていく。
大工房を運営して、作品をどんどん送り出すしながら、宮廷画家として外交官のような重要な任務をこなす。
活躍の範囲はヨーロッパのさまざまな国。
イギリスではチャールズ1世から、称号まで与えられている。
でも仕事ばかりの人ではない。
展覧会にも出ていた、クララちゃんや兄の子供の顔。自分の兄弟や、子どもたちに愛情をもっていたからこそ描けるあの絵。
そしてイザベラ夫人とその後再婚したヘレナ夫人との幸せな生活は、展覧会には出てないけど2人の肖像画からもわかります。
多くの人の尊敬や憧れの存在であるルーベンスの基礎を作ったのが、イタリアでの8年間だったのだなと思った展覧会でした。
ルーベンス展の展覧会概要